5月16日

「運動会が間近です」

  本校の運動会の計画は教員の話し合いで決定されますが、いろいろな集団競技や演技のほとんどは、先輩が後輩たちを指導するスタイルをとります。中三の紅白の各団長が中心となって、朝の少しの時間や休み時間を工夫して取り組みます。最初は低学年を並ばせることさえ手こずっていますが、あっという間に連帯意識が生まれ、すばらしい集団練習があちらこちらで繰り広げられます。
 まさに小規模ながら小中一体型の学校のメリットが生かされる一例です。何よりも、夢中になって動くことを嫌がる児童生徒がいません。毎日の生活環境の中、安全で自由に駆け回れる広場や遊び場がない子供たちにとって、決して広大な場所ではないかもしれませんが、みんなと一緒に駆け回り、飛び跳ねられるグランドや体育館は、いるだけで本当に気持ちのよい場所なのでしょう。運動会が楽しみです。きっとさわやかな笑顔と汗にまみれた子どもらしい姿を見せてくれると思います。
 さて、最近の小学校の運動会は熱中症対策等から春がメインとなりましたが、私は自分の小学校時代の「秋の大運動会」ほど憂鬱なものはありませんでした。地区の同学年には男子は自分一人でしたから、運動音痴で足の遅い私が毎年地区対抗リレーの選手なのです。これはある意味喜劇であり、悲劇です。低学年のころはまだよかったのですが、高学年になると悲惨です。後輩は足の速い子ばかり、バトンゾーンで「バトン落とせ!ビリで来い!」と祈っていてもたいてい上位でやって来ます。バトンを受け取り必死で走ると周りからどよめきのようなものが聞こえます。結局後ろから来た全員に抜かれるということを何年も続けました。自分にとって運動会は人から笑われるためにあったようなものです。仮病や何かでずる休みも可能だったのでしょうが、当時は病気以外で学校を休むということは普通考えられないことでしたので、恥をかくのを承知で雨よ降れ!!などと願いながら学校へ向かうのでした。あの複雑で何ともいえない情けない嫌な気持ちは、今でもはっきりと覚えています。
 模型飛行機、釣り、カブトムシ採りに怪獣図鑑丸暗記・・「これだけは絶対に人には負けない」という子どもの陳腐な、けれど自分の全存在を支えていたあのプライドがなかったら,運動会の朝、私は学校へ向かえなかったと思います。
 さらに、6年生の時の閉会式の校長先生のお話は衝撃的でした。「根本地区(私の地区です)は地区内に学校があり、通学距離が短いから足の遅い子どもがいる。もっと鍛えろ。」というのです。「あー俺のことかよ、何もわざわざこんなみんなの前で言わなくても・・」と心で泣きながら、その時は、どうか中学校には自分より遅い奴がいてくれと願ったのを覚えています。
 漫画家の小林よしのりが、負けるのがわかっていながら、行かなければならない神社の相撲大会の話を「ゴーマニズム宣言」の中で描いていますが、昔も今も、子供は多かれ少なかれそれなりに、辛い思いを我慢することを自分に強いているのだと思います。校長先生の話ではありませんが、当時は世の中のいろいろなことが子供にとっても厳しい時代でした。いや、世の中の厳しさは今と同じだけれど、大人が今みたいに優しくはなかったと言うほうが正しいのかもしれません。それが良いことなのか悪いことなのかは私にはわかりませんが、元気に駆け回っている子どもたちの中にも、本当は運動会が嫌いな子がいるかもしれないな、と時々思います。

4月23日 「PJSで見かけた生きものたち」 

 初めて住むペナンですが、さすがに熱帯雨林気候の土地だけあって学校の周りだけでも珍しい(こちらの人には当たり前の)生き物がたくさん見られます。今は乾季だそうですが、今年は雨が多いとか。
 まずは植物、ものすごい成長の早さです。一昨日刈った運動場の芝(ではないのだろうけど一応芝ということで)が今日はもう元の長さに、庭師のムティーさんの悲しそうな顔が浮かびます。裏のフェンス寄りにはバナナの木。何本かにはおいしそうな実と大きな花が。わざと葉っぱを被せて鳥に気付かれないようにしています。裏庭の観察花壇の横にはランプータンのでっかい木。実りの季節が楽しみです。表の学年花壇も傑作です。一つにはパイナップル、一つにはサトウキビ、もう一つには名前はわかりませんが、日本で買って枯らしたことがある、茎がトゲトゲの赤い花が咲くあの植物。
 次に鳥、ツバメがたくさんいます。タイやインドネシアに多くみられる海岸近くに住む種類のよう。海ツバメだったらどこかに巣を作ってくれないかなあ。スープにして食べてみたい。ものすごくきれいな小鳥多数。ハチドリもいました。
それから日本のやや小型のカラスのような真っ黒い鳥、最初はカラスかと思っていたら、ものすごく美しい声で啼くのでびっくり、本当にきれいな声で恐れいりました。鳥ではありませんが、フルーツバット。毎朝軒下に果物の種を落としまくって行きます。いつかぜひお会いしたい。
 爬虫類。なんといってもウォーターモニター、水オオトカゲ。小学生の頃親に連れて行ってもらったデパートの「大アマゾンの生き物展」。それまで捕まえては遊んでいたカナヘビの何十倍もの大きさにビビり、その真っ黒い舌の色にビビり、しかも泳ぎがうまいという陸上爬虫類らしからぬその生態に、アマゾン川では絶対に泳がないと幼心に誓ったものでした。でも後で、アマゾンではなくてマレーシアやインドネシアのトカゲだとわかり、必死で泳ぐ自分の後ろから巨大な水オオトカゲが襲ってくるという悪夢からは解放されました。何より数十年後、ティオマン島の水路脇の草むらで、デレーッと昼寝を決め込むでっかい奴を見たときは何とも言えない愛着がわきました。学校裏の用水路には少なくとも2個体が観察されています。本当に器用に泳ぎますから、トカゲじゃなかったら水泳のコーチに雇いたいくらいです。それからカラフルなヤモリ多数。夕方になるといい声でかわいらしく啼き始めます。故郷の田んぼのカエルたちを思い出します。蛇類はまだ見ていません。学校の裏が河口付近の川なので、大雨の後などは結構いろいろな生き物が上流から流され来るような気がします。
 最後に昨日見たのがカワウソ。かなり大型で排水の土管を出たり入ったりしていました。水が濁って見えませんが、おそらく捕食する魚類は豊富なのではないかと思われます。近いうちに現地調査(ただの釣りです)を実施予定です。
 これを読まれた保護者の皆様は不安に思われるかもしれませんが御安心を、校舎裏には子供だけでは絶対に行かない決まりですし、今までその約束を破った子は一人もいません。万が一、二重のフェンスを超えて危険生物が侵入しても、すぐに経験豊かな現地人スタッフが対処します。
4月19日 「鯉のぼりを揚げてみました」 

 ペナン日本人学校に赴任が決まった時、私には一つどうしてもやってみたかったことがありました。それは、ホームページで見て知っていた学校の校門脇にある国旗の掲揚ポールに鯉のぼりを泳がせることです。
 私が初めて校長として赴任したのは、茨城県の県北にある山間の小さな小学校でした。翌年には廃校が決まっていた学校でしたが、校舎は赴任の数週間前の東関東大震災にも耐え、余裕教室があったことから、被災した近くの別の学校が二階に間借りする、一つの校舎に二つの学校があるという、あまり例のない運営形態の学校でした。
 どちらも小規模の小学校でしたから、どうせ同じ建物にいるのだからと、教育委員会から教職員の兼務発令をして頂き、複式学級にせざるを得なかったいくつかの学年を、二校同時のカリキュラムを編成し、単学級として複数の教師で授業を行うという大ピンチをチャンスに変えることができた思い出深い学校でした。
 ある日、地震で自分たちの学校が使えなくなり、肩身の狭い思いをしながら毎日バスで通学する子供たちになんとか元気になってもらいたいと、家にあった息子の古い鯉のぼりを国旗の隣に揚げてみると、バスから降りた低学年の子供たちが「鯉のぼりだ!鯉のぼりだ!」と嬉しそうに駆け寄って来ました。その笑顔を見ながら、地震で大変な思いをしながらも、毎日頑張って登校して来る子供たちの笑い声を学校から消してはいけないと心に誓いました。
 鯉のぼりは不思議な力を持っています。いつの頃からかは知りませんが、滝をのぼり龍になると言われていた鯉をのぼりにして大空に泳がせ、子供の成長の無事と健康を祈った日本人の自然観と、目に見えない力に対する畏敬の念は本当にすばらしいものだと感動します。鯉のぼりの下に立って見上げると、大きな口で風を飲み込み、バタバタと体をくねらせながら悠々と大空を泳ぐ姿になんだかドキドキするのは私だけでしょうか。
 そこで今日、日本から運んできた鯉のぼりを試験的に警備員のラビさんとスティーブンさんに手伝ってもらい、国旗のポールに揚げてみました。近くに樹木があったり有刺鉄線が邪魔になったりもしましたが、3匹の鯉はゆっくりとペナンの空に泳ぎ始めました。さて子供たちの反応は、と休み時間に見渡してみると、皆友達との遊びに夢中でさっぱり眺めてもらえませんでした。その代わり道路を走るバイクのオジサンたちが「なんだありゃ?」といった感じで皆さん振り向きながら走り去って行きます。
 テロ対策で日本人学校の看板を外さなければならない国もあります。安全管理の面からも、日本人の施設が目立つことを避けなければならないのも事実かもしれません。けれでも、ほんの少しの間だけでも、ペナン日本人学校の空に鯉のぼりを泳がせることができたことを嬉しく思います。
4月15日 「平成29年度スタート」 -PJSかがやきプラン-
『か』考える子 『が』がんばる子 『や』やさしい子 『き』協力する子

 
 4月14日(金)、本校の教育目標と同じくらいにキラキラ輝くたくさんの瞳たちが見つめる中、日本より一週間遅れの始業式を行いました。それぞれ1学年ずつ進級した子供達の元気で意欲に溢れ、熱気に満ちた姿に再会し、教職員一同使命感を新たに平成29年度をスタートしました。
 翌15日(土)には、糸井総領事ご夫妻、笠谷日本人会会長、下中学校運営委員長代行など、ご来賓と保護者の皆様をお迎えし、小学部・中学部合同の入学式を行いました。ピカピカの小学部1年生が26名、中学部1年生が12名、計38名が入学しました。
ご来賓の方々からは、小・中学部入学児童生徒へ心温まるお祝いの言葉や記念品を頂き、新1年生に限らず出席した全校児童生徒が、これからの一年間をしっかり歩んで行く決意を胸に秘めました。職員一同感謝申し上げます。本当に有難うございました。私は校長として小学部1年生には、「目を見て挨拶ができる子になること」「どんなに苦しくとも、決まりや約束を守ること」を一年間の生活目標としてがんばることを御願いしました。そして中学部1年生には、これから自分自身が世界で活躍するためには何が必要で、どのような力を身につけなければならないかについて、しっかりと考える一年間にしてほしいことを伝えました。
 ペナン生活初心者の私にとっては、毎日が興奮と感動の連続ですが、物見遊山の観光に来ているわけではありません。遠く日本を離れ、多くの困難を乗り越えながら日本のために頑張って頂いている保護者の皆様にとって、宝であるお子様たちの育ちと学びは最も大切なものの一つであると思います。子供の健全な成長と確かな学びを期待しない親はいません。私たちは、子供を理解し、学力を保障する教育のプロとして、もてる能力をすべて子供たちのために発揮するためにこの地にいるのだということを、改めて肝に銘じたいと思います。
 日本から遠く離れた異文化の地に住むことをデメリットではなくメリットと捉え、小・中学生が同じ環境で学ぶことによって自尊感情や自己有用感を醸成し、少人数教育のメリットをそれぞれの学年で具現化する。これがPJSの我々職員の実践目標となります。子供たちにプランを示し、それに向かって努力することを願った以上、私たちも負ける訳にはいきません。真剣勝負の一年の始まりです。
 どうぞ本年度も在ペナン日本国総領事館、ペナン日本人会、ペナン日本人学校運営委員会、そして保護者の皆様方のより一層のご支援とご協力をお願い申し上げます。
次の6名の教職員が、新しくペナン日本人学校に赴任しました。

 小野 司寿男 校長【茨城県から】 
 久保田 正昭 教諭【滋賀県から】
 清水 ちずる 教諭【福岡県から】
 飛彈 雅子 教諭【富山県から】
 菅原 周一郎 教諭【東京都から】
 槙田  萌 教諭【岩手県から】