7月20日 「ペナン路上観察」

 一昔前、路上観察学会・トマソンという言葉がはやりました。結局自分にはよく理解できないものでしたが、その屁理屈を学術っぽく正当化しようとする姿勢は嫌いではありませんでした。「なんだ校長は食べ物と飛行機と釣りと怪獣の話ししかできないと思っていたのに」なんて声が聞こえてきそうです。確かにペナンに来て初めて覚えたマレー語が「ブンゴス」と「マカンシニ」でしたから反論はできません。
 初めて本校を見たのが休日の夕方だったため、人通りのない随分さみしい場所にあるなと思いました。ところが平日の昼間に見渡してみると、車は多いし、事務所は一杯あるし、屋台や食べ物屋がたくさんあるのにびっくりしました。
 学校の近隣の方たちとは必ず仲良くしておかなければなりません。これは学校経営の鉄則です。いざという時は、この近所の皆さんが必ず子どもたちを守り、助けてくれるはずです。そこで小野校長は色々と言い訳を考えては、そのおばちゃんやおじちゃんと仲良くなるために、片っ端から屋台訪問を始めました。お昼が過ぎているのに「スラマッ パギ」なんて大きな声で間違えている変な日本人をなんだと思ったでしょうが、皆さん笑顔で迎えてくれました。(商売だからあたり前か。)「私はあそこの学校の校長です。もし何か災害や事件が起きて、子どもたちが逃げてきたときには、どうか面倒をみてください。御願いします」と頼むと、皆さん笑顔で「オ~ケ、オ~ケ~」。「ありがとうございます、ところでこれはどんな料理ですか?」「✖〇△※✖〇ニャニャ・・・」「OK,OK,サトゥ・・ブンゴス」。「オ~ ✖〇△※✖〇!!ファイブ リンギ!」
 わからない人には何だかさっぱりわからないと思いますが、こういうことをせっせと繰り返しながらいました。今では自転車で大きな屋台を引っ張って来るおじちゃんは、毎朝通学バスを待つ私に手を振ってくれます。どうやら学校の前の道は少し坂になっているようで、ペダルをこがなくとも進むようなので手が空いているということなんでしょうか。
 何が路上観察なのか全くわからない話が続いていますが、屋台の設置と撤収の手際の良さは驚きに値します。屋台の構造そのものが非常に広げたり畳んだりしやすくなっているのと同時に、プロパンガスなどの付属品は、それを専門に運ぶ人がいて、頃合いを見計らって所謂カブスタイルの車体に鉄骨の枠を取り付けたバイクでブイーンとやって来て、パパッと積んであっという間に消えて行く。しかもボンベを4本も積んでたりする。排水は下水溝に直行なので環境的には問題だと思うけれど、あっという間に現れてあっという間にいなくなるその速さには驚きます。 
 この屋台協力依頼作戦、よく考えてみると朝は早くてよいけれど、午後は二時を過ぎる頃にはきれいさっぱり跡形もなくなるので、午後の部営業の人を見つけなければなりません。そうなるとあの経済飯屋まで依頼範囲を広げるとするか。また太るな。なんて悩んでいたら、「なんで食べ物屋だけなの、自動車屋でもよいでしょう。」というアドバイス。「全くその通りでございます。」

7月6日 「ドラえもん」

 PJSでは定期テスト、修学旅行、移動教室などの大きな行事を終え、いよいよ夏休みを迎えます。学校の中庭には、七夕飾りの笹が飾られ、子どもたちとスタッフの想いや願いがたくさんが揺れていますし、来週末には一足早く「ペナン盆踊りフェステバル」が行われます。夏休みを迎える雰囲気づくりは完璧です。常夏の国の夏休みってなんか変な気もしますが、子どもたちにとっては本当に楽しみな夏休み、学校の時間にしばられずたくさんの体験をして、一回りも二回りも成長してくれることを願っています。
 その七夕飾りの下で子どもたちとたわいのないおしゃべりをしました。短い休み時間のほんのひとときのことですが、私はこの時間が大好きです。今日の話題は「ドラえもん」。出演するキャラクターではやはりドラえもんが一番人気ですが、意外とのび太くんやジャイアンも人気です。何かしら自分に重なる部分があるからでしょうか。あんな便利で優しくて頼りになるロボットがいたら本当にほしいですよね。しかも個人的には大好きな「猫」型ですから。(猫というよりむしろタヌキ型ですが)話題が都市伝説化しているドラえもんの最終回になったっところで、休み時間が終わりました。
 ロボットと言えば少し前にあのSONYのロボット犬「アイボ」が発売後十数年年が経過し、メーカーのメンテナンスサービスが終了するということが話題になりました。発売当時は大変な人気となり、十数年前で25万円という高額にも関わらず20分で3,000台(匹?)が売り切れたというのも驚きですが、何より愛玩や癒やしを目的としたロボットが個人向けに市販されたということも、大変注目された理由のひとつでした。人間の動作を助ける作業用機械というイメージの強いロボットが、機械には不可能と思われていた人の感覚や感情に働きかける存在となったわけで、まさに遠い未来のことだと思われていたことが、現実となったということで「えらいこっちゃ」だったわけです。しかも金さえ出せば誰でも買える。
 ところが、アイボの視覚、感覚、触覚を支えるセンサー類は定期的な交換を必要とし、個性を発生させるための人間の感情に相当する複雑なプログラムを包括する内蔵ソフトの問題等、やはり機械である以上は定期的なメンテナンスはさけられないものでした。機械の宿命とはいえ、今後メーカーから見放されたアイボには、いつか必ず不具合が生じ、思うように動かない等の事態が発生します。作業のための機械ならここで交換、さあ新型にと行くところでしょうが、愛情を注ぐ対象としてのロボット犬ですから、愛着がわき、家族の一員や我が子のようにかわいがっていた方達にとってみれば、これは相当深刻な問題となるはずです。生き物は必ずいつかは死にます、けれどアイボは決して死なない、つらい別れをしなくとも済むと考えていた人も多いのではないでしょうか、特に本物の犬のようにかわいがっていた人たちには深刻な問題なはずです。
 「感情」を商品の一部として販売した企業には、こういった人の思いに対して最後まで責任を持つ義務はないのかなあと思いながらいたら、当時アイボに関わっていた方たちが修理やメンテを引き受けてくれる駆け込み寺を立ち上げてくれているという記事を見つけ嬉しくなりました。れぞ日本企業の技術者の誠意とプライドと言っては大げさかもしれませんが、機械に心を求めた方たちの心も本当にすばらしいものだったようです。
6月16日

「日本人墓地の清掃をさせていただきました」

 先日中学部の生徒たちと、日本人墓地の清掃をさせて頂きました。
 埋葬されている方の墓標から判断して、ペナンの日本人墓地が開設されたのは、明治20年代から30年代にかけてであると推測されています。明治42年には長崎県島原大師堂の言証氏が「からゆきさん」の施餓鬼供養のためにペナン日本人墓地を訪れたとの記録があるそうです。
 昭和40年に在留邦人の平島勉氏が大使館より管理を委託され、氏はほとんどが土中に埋まっていた墓石を雑草の中から一本、一本掘り起こし、周囲にフェンスをめぐらして、付近の子どもの遊び場になっていた場所を立派な墓地として整備してくださったそうです。現在の墓石は56基あり、入り口には門柱が、奥には慰霊塔も設置されています。
 その存在と場所は知っていましたが、初めて訪れてみるとその整然とした様子に驚きます。子どもたちは丁寧に地面を掃き清め、墓石の一つ一つを洗ってくれました。ちょうど慰霊碑脇には、一本の大きな木が植えられているのですが、その木から種を包む綿毛がたくさん舞い散っていて、まるで雪が積もったようにも見えました。ふと幼いころ、父と観た「南の島に雪が降る」という映画のシーンを思い出しました。俳優の加藤大輔さんの体験を元に作られた映画で、第二次大戦中の南方戦線、日本軍の慰安部隊の話です。遠い前線から慰安の舞台劇を見にはるばるやって来る兵隊たちの中に、東北の部隊がいることを知り、団員たちはパラシュートを使って舞台上に雪景色を作ります。幕が上がると雪景色を見た隊員たちが「ああ、雪だ、雪だ」と言ってむせび泣くシーンが幼心にも本当にかわいそうでなりませんでした。
 墓地に葬られている方たちの中には、望郷の念に駆られたまま命を終えた方も多かったのではないかと思います。はるか日本を離れ、このペナンの地で頑張る子どもたちが、一生懸命自分たちの墓を清めてくれるなどとは、その時は想像もしなかったことでしょう。
 子どもたちは誰一人さぼることもなく、汗をぬぐいながら本当に熱心に掃除に取り組んでくれました。墓に眠る方たちがどのような人生を歩まれたのか、今は知るすべもありませんが、皆さんきっと喜んでくださっていると思います。

5月30日

「学校だよりの続きです」

 突然ですが、学校だよりの続きです。なんだか訳がわからないままでもあんまり悔しいので、そちらの方の専門家に頼んで紹介して頂いた中央大学の池田教授の著書によれば、フランスの公教育の大原則は、『公私の明確な区別』と『知育中心主義』だそうで、学校は公的領域、家庭は私的な領域であり、それぞれの場での教育は別のもの。その結果、学校の宿題が家庭の時間に侵入するのは、公による私の自由の侵害ということになる。また、知育は教師という専門家が行ってはじめて質を保証できるもので、家庭は家庭でしかできない徳育に集中するべきだ、とも考えられているのだそうです。へー、なんかすごいわ。
 こう説明されると、宿題廃止論もそれなりに筋が通っている気がしてきます。だからフランス人は、仲の良い(とこちらが勝手に思っている)日本人が私的な部分に「なあなあ」のなれ合いで入っていくと、いきなり「君は友人ではない。」とさらりとカマしてくるわけです、それこそ何十年も付き合っていても。
 個を重要視する国民性とはいえ、これだけはっきりと学校教育と家庭教育の在り方に線引きがなされている国も実にめずらしいのではないでしょうか。日本の教育システムは世界に誇れるものですが、それは日本人が日本人に教育を施す場合の話です。教育の世界では、システムの「良いとこ取り」が一番効果的だと言われていますが、フランスと同じことを日本で実践することは不可能のような気がします。公私の区別のあるなしなんて、農耕民族のDNAを持つ我々にはその時々で使い分けなければならない最たるものですから。

5月16日

「運動会が間近です」

  本校の運動会の計画は教員の話し合いで決定されますが、いろいろな集団競技や演技のほとんどは、先輩が後輩たちを指導するスタイルをとります。中三の紅白の各団長が中心となって、朝の少しの時間や休み時間を工夫して取り組みます。最初は低学年を並ばせることさえ手こずっていますが、あっという間に連帯意識が生まれ、すばらしい集団練習があちらこちらで繰り広げられます。
 まさに小規模ながら小中一体型の学校のメリットが生かされる一例です。何よりも、夢中になって動くことを嫌がる児童生徒がいません。毎日の生活環境の中、安全で自由に駆け回れる広場や遊び場がない子供たちにとって、決して広大な場所ではないかもしれませんが、みんなと一緒に駆け回り、飛び跳ねられるグランドや体育館は、いるだけで本当に気持ちのよい場所なのでしょう。運動会が楽しみです。きっとさわやかな笑顔と汗にまみれた子どもらしい姿を見せてくれると思います。
 さて、最近の小学校の運動会は熱中症対策等から春がメインとなりましたが、私は自分の小学校時代の「秋の大運動会」ほど憂鬱なものはありませんでした。地区の同学年には男子は自分一人でしたから、運動音痴で足の遅い私が毎年地区対抗リレーの選手なのです。これはある意味喜劇であり、悲劇です。低学年のころはまだよかったのですが、高学年になると悲惨です。後輩は足の速い子ばかり、バトンゾーンで「バトン落とせ!ビリで来い!」と祈っていてもたいてい上位でやって来ます。バトンを受け取り必死で走ると周りからどよめきのようなものが聞こえます。結局後ろから来た全員に抜かれるということを何年も続けました。自分にとって運動会は人から笑われるためにあったようなものです。仮病や何かでずる休みも可能だったのでしょうが、当時は病気以外で学校を休むということは普通考えられないことでしたので、恥をかくのを承知で雨よ降れ!!などと願いながら学校へ向かうのでした。あの複雑で何ともいえない情けない嫌な気持ちは、今でもはっきりと覚えています。
 模型飛行機、釣り、カブトムシ採りに怪獣図鑑丸暗記・・「これだけは絶対に人には負けない」という子どもの陳腐な、けれど自分の全存在を支えていたあのプライドがなかったら,運動会の朝、私は学校へ向かえなかったと思います。
 さらに、6年生の時の閉会式の校長先生のお話は衝撃的でした。「根本地区(私の地区です)は地区内に学校があり、通学距離が短いから足の遅い子どもがいる。もっと鍛えろ。」というのです。「あー俺のことかよ、何もわざわざこんなみんなの前で言わなくても・・」と心で泣きながら、その時は、どうか中学校には自分より遅い奴がいてくれと願ったのを覚えています。
 漫画家の小林よしのりが、負けるのがわかっていながら、行かなければならない神社の相撲大会の話を「ゴーマニズム宣言」の中で描いていますが、昔も今も、子供は多かれ少なかれそれなりに、辛い思いを我慢することを自分に強いているのだと思います。校長先生の話ではありませんが、当時は世の中のいろいろなことが子供にとっても厳しい時代でした。いや、世の中の厳しさは今と同じだけれど、大人が今みたいに優しくはなかったと言うほうが正しいのかもしれません。それが良いことなのか悪いことなのかは私にはわかりませんが、元気に駆け回っている子どもたちの中にも、本当は運動会が嫌いな子がいるかもしれないな、と時々思います。

4月23日 「PJSで見かけた生きものたち」 

 初めて住むペナンですが、さすがに熱帯雨林気候の土地だけあって学校の周りだけでも珍しい(こちらの人には当たり前の)生き物がたくさん見られます。今は乾季だそうですが、今年は雨が多いとか。
 まずは植物、ものすごい成長の早さです。一昨日刈った運動場の芝(ではないのだろうけど一応芝ということで)が今日はもう元の長さに、庭師のムティーさんの悲しそうな顔が浮かびます。裏のフェンス寄りにはバナナの木。何本かにはおいしそうな実と大きな花が。わざと葉っぱを被せて鳥に気付かれないようにしています。裏庭の観察花壇の横にはランプータンのでっかい木。実りの季節が楽しみです。表の学年花壇も傑作です。一つにはパイナップル、一つにはサトウキビ、もう一つには名前はわかりませんが、日本で買って枯らしたことがある、茎がトゲトゲの赤い花が咲くあの植物。
 次に鳥、ツバメがたくさんいます。タイやインドネシアに多くみられる海岸近くに住む種類のよう。海ツバメだったらどこかに巣を作ってくれないかなあ。スープにして食べてみたい。ものすごくきれいな小鳥多数。ハチドリもいました。
それから日本のやや小型のカラスのような真っ黒い鳥、最初はカラスかと思っていたら、ものすごく美しい声で啼くのでびっくり、本当にきれいな声で恐れいりました。鳥ではありませんが、フルーツバット。毎朝軒下に果物の種を落としまくって行きます。いつかぜひお会いしたい。
 爬虫類。なんといってもウォーターモニター、水オオトカゲ。小学生の頃親に連れて行ってもらったデパートの「大アマゾンの生き物展」。それまで捕まえては遊んでいたカナヘビの何十倍もの大きさにビビり、その真っ黒い舌の色にビビり、しかも泳ぎがうまいという陸上爬虫類らしからぬその生態に、アマゾン川では絶対に泳がないと幼心に誓ったものでした。でも後で、アマゾンではなくてマレーシアやインドネシアのトカゲだとわかり、必死で泳ぐ自分の後ろから巨大な水オオトカゲが襲ってくるという悪夢からは解放されました。何より数十年後、ティオマン島の水路脇の草むらで、デレーッと昼寝を決め込むでっかい奴を見たときは何とも言えない愛着がわきました。学校裏の用水路には少なくとも2個体が観察されています。本当に器用に泳ぎますから、トカゲじゃなかったら水泳のコーチに雇いたいくらいです。それからカラフルなヤモリ多数。夕方になるといい声でかわいらしく啼き始めます。故郷の田んぼのカエルたちを思い出します。蛇類はまだ見ていません。学校の裏が河口付近の川なので、大雨の後などは結構いろいろな生き物が上流から流され来るような気がします。
 最後に昨日見たのがカワウソ。かなり大型で排水の土管を出たり入ったりしていました。水が濁って見えませんが、おそらく捕食する魚類は豊富なのではないかと思われます。近いうちに現地調査(ただの釣りです)を実施予定です。
 これを読まれた保護者の皆様は不安に思われるかもしれませんが御安心を、校舎裏には子供だけでは絶対に行かない決まりですし、今までその約束を破った子は一人もいません。万が一、二重のフェンスを超えて危険生物が侵入しても、すぐに経験豊かな現地人スタッフが対処します。
4月19日 「鯉のぼりを揚げてみました」 

 ペナン日本人学校に赴任が決まった時、私には一つどうしてもやってみたかったことがありました。それは、ホームページで見て知っていた学校の校門脇にある国旗の掲揚ポールに鯉のぼりを泳がせることです。
 私が初めて校長として赴任したのは、茨城県の県北にある山間の小さな小学校でした。翌年には廃校が決まっていた学校でしたが、校舎は赴任の数週間前の東関東大震災にも耐え、余裕教室があったことから、被災した近くの別の学校が二階に間借りする、一つの校舎に二つの学校があるという、あまり例のない運営形態の学校でした。
 どちらも小規模の小学校でしたから、どうせ同じ建物にいるのだからと、教育委員会から教職員の兼務発令をして頂き、複式学級にせざるを得なかったいくつかの学年を、二校同時のカリキュラムを編成し、単学級として複数の教師で授業を行うという大ピンチをチャンスに変えることができた思い出深い学校でした。
 ある日、地震で自分たちの学校が使えなくなり、肩身の狭い思いをしながら毎日バスで通学する子供たちになんとか元気になってもらいたいと、家にあった息子の古い鯉のぼりを国旗の隣に揚げてみると、バスから降りた低学年の子供たちが「鯉のぼりだ!鯉のぼりだ!」と嬉しそうに駆け寄って来ました。その笑顔を見ながら、地震で大変な思いをしながらも、毎日頑張って登校して来る子供たちの笑い声を学校から消してはいけないと心に誓いました。
 鯉のぼりは不思議な力を持っています。いつの頃からかは知りませんが、滝をのぼり龍になると言われていた鯉をのぼりにして大空に泳がせ、子供の成長の無事と健康を祈った日本人の自然観と、目に見えない力に対する畏敬の念は本当にすばらしいものだと感動します。鯉のぼりの下に立って見上げると、大きな口で風を飲み込み、バタバタと体をくねらせながら悠々と大空を泳ぐ姿になんだかドキドキするのは私だけでしょうか。
 そこで今日、日本から運んできた鯉のぼりを試験的に警備員のラビさんとスティーブンさんに手伝ってもらい、国旗のポールに揚げてみました。近くに樹木があったり有刺鉄線が邪魔になったりもしましたが、3匹の鯉はゆっくりとペナンの空に泳ぎ始めました。さて子供たちの反応は、と休み時間に見渡してみると、皆友達との遊びに夢中でさっぱり眺めてもらえませんでした。その代わり道路を走るバイクのオジサンたちが「なんだありゃ?」といった感じで皆さん振り向きながら走り去って行きます。
 テロ対策で日本人学校の看板を外さなければならない国もあります。安全管理の面からも、日本人の施設が目立つことを避けなければならないのも事実かもしれません。けれでも、ほんの少しの間だけでも、ペナン日本人学校の空に鯉のぼりを泳がせることができたことを嬉しく思います。
4月15日 「平成29年度スタート」 -PJSかがやきプラン-
『か』考える子 『が』がんばる子 『や』やさしい子 『き』協力する子

 
 4月14日(金)、本校の教育目標と同じくらいにキラキラ輝くたくさんの瞳たちが見つめる中、日本より一週間遅れの始業式を行いました。それぞれ1学年ずつ進級した子供達の元気で意欲に溢れ、熱気に満ちた姿に再会し、教職員一同使命感を新たに平成29年度をスタートしました。
 翌15日(土)には、糸井総領事ご夫妻、笠谷日本人会会長、下中学校運営委員長代行など、ご来賓と保護者の皆様をお迎えし、小学部・中学部合同の入学式を行いました。ピカピカの小学部1年生が26名、中学部1年生が12名、計38名が入学しました。
ご来賓の方々からは、小・中学部入学児童生徒へ心温まるお祝いの言葉や記念品を頂き、新1年生に限らず出席した全校児童生徒が、これからの一年間をしっかり歩んで行く決意を胸に秘めました。職員一同感謝申し上げます。本当に有難うございました。私は校長として小学部1年生には、「目を見て挨拶ができる子になること」「どんなに苦しくとも、決まりや約束を守ること」を一年間の生活目標としてがんばることを御願いしました。そして中学部1年生には、これから自分自身が世界で活躍するためには何が必要で、どのような力を身につけなければならないかについて、しっかりと考える一年間にしてほしいことを伝えました。
 ペナン生活初心者の私にとっては、毎日が興奮と感動の連続ですが、物見遊山の観光に来ているわけではありません。遠く日本を離れ、多くの困難を乗り越えながら日本のために頑張って頂いている保護者の皆様にとって、宝であるお子様たちの育ちと学びは最も大切なものの一つであると思います。子供の健全な成長と確かな学びを期待しない親はいません。私たちは、子供を理解し、学力を保障する教育のプロとして、もてる能力をすべて子供たちのために発揮するためにこの地にいるのだということを、改めて肝に銘じたいと思います。
 日本から遠く離れた異文化の地に住むことをデメリットではなくメリットと捉え、小・中学生が同じ環境で学ぶことによって自尊感情や自己有用感を醸成し、少人数教育のメリットをそれぞれの学年で具現化する。これがPJSの我々職員の実践目標となります。子供たちにプランを示し、それに向かって努力することを願った以上、私たちも負ける訳にはいきません。真剣勝負の一年の始まりです。
 どうぞ本年度も在ペナン日本国総領事館、ペナン日本人会、ペナン日本人学校運営委員会、そして保護者の皆様方のより一層のご支援とご協力をお願い申し上げます。
次の6名の教職員が、新しくペナン日本人学校に赴任しました。

 小野 司寿男 校長【茨城県から】 
 久保田 正昭 教諭【滋賀県から】
 清水 ちずる 教諭【福岡県から】
 飛彈 雅子 教諭【富山県から】
 菅原 周一郎 教諭【東京都から】
 槙田  萌 教諭【岩手県から】