10月16日
「パトラッシュ」

 前回の校長室の窓で「ネロとパトラッシュ」の意味が解らんというお話を頂きました。学校のホームページという公の場で、訳のわからない校長個人の思い込みを書いていることがそもそも良くないのではないか、子どものことを書くべきではないかという気もしますが、本校の担任は毎週学級通信を発行しており、保護者の皆様は学級の子どもたちの様子はよくご存知のことと思います。校長をしながら言うのもなんですが、自分は昔から長々と説教めいた訓示というのを聞くのが大嫌いで、たいていの話しは最後は子どものためではなく話している人の自己満足に終わっていて、長いだけで何だかよくわからない話を聞きながら、朝礼で友人がばたばた倒れていく中本当に早く終わってくれよといつも思っていたものでした。褒められた話はよく覚えているので結構ワガママな子どもだったのかもしれません。(ワガママを言わない子どもなんていませんけど)
 実は「ネロとパトラッシュ」という言葉は自分にとって完全にトラウマ化しており、その言葉を聞いただけで目頭がじわ~と熱くなってきます。これを書いているだけでももうだめです。フランダースの犬というお話はご存知でしょうが、この話は遠い昔TVアニメとして放送されていました。「ランランラーン、ランランラーン」というテーマ音楽が聞こえてくると、また悲しい想いをするのをわかっていても、ついいい年をしてTVの前に座ってしまうのでした。可愛そうなもの見たさとでもいうのでしょうか。貧しいながらも教会のルーベンスの絵を観たい、画家になりたいという夢と希望をもつネロ少年、その少年を助けながら、いつも重い荷車を引くパトラッシュ。ちなみに大きさはどうもピレネー犬くらいあるのですが、模様がセントバーナードぽいので雑種ではないかと思います(どうでもいいですけど)。何が悲しいかといえばこのパットラッシュ本当にネロの力になるのです、まるで実の親か兄弟のように。犬とはいえ、人の都合やワガママに付き合い、最後は一緒に死んでしまう。こんな可哀そうなことがあっていいのか、ネロには悪いがもう少しパトラッシュを大事にしろよと本当に思っていました。人のために利用され、一緒に迫害を受ける。悪いのは心の冷たい人たちだけれど、ネロはほどこしや親切を受けることもあったが、パトラッシュは死ぬまで犬だった。そんな不公平さがとても嫌だった思いがあり、今でもこの言葉の響きがトラウマとして残っているのだと思います。おそらく子どもたちのほとんどは、ネロよりパトラッシュに同情するのではないかと思うのですが。今度ゆっくりと聞いてみたいと思います。
 放送が終わってしばらくしてから、ある人に「できれば何も言わずに頑張ってくれたパトラッシュだけは助けてほしかった」という話をしたら「それじゃフランダースの犬」じゃないでしょと言われ、愕然としました。さらにベルギー出身だという青年にこの話をしてみたところ、「ベルギーにはそのような民話はなく、原作は確かイギリス人による小説でほとんどの人は知らないだろう、日本に来てから何度も同じ質問をされるので驚いている、アントワープには小説にちなんで石碑があるらしいが見たことはない。」という衝撃的な言葉を頂きました。何とも日本人にぴったりなお話だなと思ってはいたけれど、そうだったんですね。もっとも有名な渋谷のハチ公も、毎日夕方の駅にやって来たのは、勤め帰りに一杯やってるオジサマたちからの焼き鳥目当てだったという人もいるくらいですから。そう考えると少しは泣かずにすみそうです。

10月4日
「ペスタ ブンガラヤ無事終了しました。」

 本校の伝統行事であるペスタ ブンガラヤ(ハイビスカス フェスティバル)が、おかげさまで無事終了いたしました。ご支援いただきました来賓の皆様、保護者の皆様に心から感謝申し上げます。
 教師と子どもたちが一つになった、すばらしい発表会でした。日本ではめっきり見られなくなりましたが、脚本、配役の話し合い、衣装、小道具づくり等々本当にたくさんのことを、毎日毎日授業を進めながら行う訳ですから、担任や担当教師の気苦労ははかりしれません。けれども当日、子どもたちそれぞれの晴れやかな表情を見ると、そんなことはすべて忘れてしまう、それが先生というものなのでしょう。「自分のことより子どもたちの笑顔が大事・・」これがいつも正しいかどうかは別として、実はこういった先生方の思いや情熱が、日本の学校がブラック企業と呼ばれるほど劣悪な労働環境にありながら、世界に注目される教育の成果を支える大きな要因の一つとなっているのです。
 「じゃあ、校長は何をしとんのじゃ?」と聞かれそうですが、実際のところ目に見えるようなものは、あんまり無いのが実情です。先生方が体を壊さないようにとか、無理をさせないようにしようなどと思っても、学校は「ないよりはあった方が」、「やらないよりはした方が」の世界。元々無理を承知で終わりのない取り組みに向かう先生方に「それぐらいでいいんじゃないの」と声をかけるのが精一杯、悪くすると逆に叱られれますから。
 子どもたちの凛とした姿と先生たちの安心した表情を見ていると、何度も目頭が熱くなり繰り返し胸にこみ上げて来るものがありました。まるでネロ少年とパトラッシュに教会の前で出会ってしまった時のようです。本当に人を感動させるものって、やっぱり人なんだと思った時間でした。
9月19日 「ありがとうございました」

 15日金曜日のペナン川の氾濫では、本校も全棟床上浸水という被害を受けました。夜から降り続いた雨がやまず、川の水位が上がり始めているということで、早朝から監視を続けましたが、満潮時刻の7時30分にはまだ敷地に水は流れ込んでいませんでした。、その後あっという間に水位が上がり、玄関前には濁流の川ができました。
 付近の道路は封鎖され、車は動けません。その中には本校のスクールバスもありました。登校した71名の児童生徒を体育館に集め、健康状態を確認しながら家に送り届ける方法を検討。職員室のある管理棟は停電、電話も使えず先生方は子どもの管理と水の進入を防ぐための作業に必死です。人手が足りずやらねばならないことばかり、時間との勝負でしたが残念ながら一階の教室全部の荷揚げはできませんでした。
 幸いお弁当を用意できていない子どもが少なかったので、水や食料は学校で備蓄していた非常用でまかなえました。トイレも体育館の高い位置のものが使えたのがありがたかったです。
 バスに乗ったままの子どもたちにも、教頭と男性職員が腰上まで水につかりながら水と食料を届けることができました。狭い車内で座ったままさぞかし疲れているだろうと心配していましたが、中学部や高学年の生徒が小さな子たちの面倒をよく見てくれいたようで、二人が着いた時には皆笑顔でお弁当を食べていたということでした。幸いバスが止まっていたところが土地の高いところであり、近くに使わせてもらえるトイレがあったことが幸いでした。
 2時半過ぎには水が引きはじめ、バスが予定通り迎えにこれたときにはとりあえず本当にほっとしましたが、各教室の泥だらけの床を見たときには、果たして月曜日までに復旧できるのか大変不安でした。翌日、父母会の呼びかけに本当にたくさんのお父さん、お母さん方が駆けつけてくださり、みるみるうちに教室をきれいにしてくださいました。土曜日ということでお母さん方ばかりでなく、たくさんのお父さん方にも来て頂き本当に心強かったです。技術室の作業台など、かなりの重さの物を泥で滑る中次々と運び出してくださる姿に頭が下がる思いでした。本当に感謝申し上げます。
 月曜日にいつものようにバスから降りる子どもたちを迎えながら、たくさんの方々の支援によりなんとか無事に学校を運営できる喜びをかみしめました。汗と水と泥にまみれながら休むことなく机を移動し、重い水の入ったバケツを何度も何度も運び、泥を掻き出し、水を吸った重いゴミを捨ててくださった保護者の皆様、本当にありがとうございました。皆様のご奉仕に心より感謝し、御礼申し上げます。
8月29日

「教育相談」

 2学期が始まり、子どもたちも職員も自分のペースを取り戻すことに一生懸命です。この時期には相談を受ける機会も多くなります。教育相談という言葉がありますが、学校には児童生徒,保護者,教員それぞれが抱える悩みや問題をお互いに相談するという機能があります。日本では行政が数々の相談窓口を設けており、色々なことを気軽に相談出来るようになっています。現在ではほとんどの教育委員会が、子ども専用や保護者向けの相談窓口を開設していますし、学校にはスクールカウンセラー等の心理の専門家が派遣されています。
 子どもの不満やイライラ、心のザワザワは出来れば一番近くの大人が受け止めてあげるのが理想ですが、親の立場やしつけという観点を優先すると何でもかんでも黙って聴けるものではありませんし、お父さんとお母さんの意見や考えが違うなんてことも結構多い。相談する方も聴く方もなかなか大変なことです。さらに、制度のある無しどころか、親自身が日本では考えずに済んでいた自分のいろいろなストレスを、自分で抱えながら生活しなければならない海外ではこれは本当に大変なことです。集団の規模が小さいほど、自分ではなく他人の価値観に振り回されやすくなるのが人間ですから。いつも心配してくれていると思っていた人が、実はストレスの元凶だったなんてことは案外よくある話しです。このややこしさが、動物と人間を分ける境目だと言ったのは、動物の集団行動を研究している友人でした。何となくわかる気がします。
 さて、有名なネットの検索ページに「知恵袋」というコーナーがあります。色々な課題や悩みに、ネット環境でつながっている全国全世界の人達が回答者となれるこの相談コーナーは、人の考え方や問題のとらえ方には本当に様々なスタイルがあり、特に回答者の人生経験や人格が回答のカギを大きく握っていることを教えてくれます。なるほどと感心するものもあれば、それはただの回答者の自己満足じゃないのと思うものまで多種多様です。そしてこの「知恵袋」の素晴らしいところは、相談者が数ある回答の中から、自分が最も納得できたというものを選んで公表するシステムがとられているところだと思います。人の悩みを興味の延長上であれこれ語るのは失礼ですが、相談者の主訴はなんだったのか、なぜその回答が相談者にとってベストなのかを知ることができるということは、子どもたちの相談をうける私たち教員にとっては、とても勉強になる場所であると思います。そんな「知恵袋」の中に、以前こんな相談がありました。
「 言いすぎでしょうか…。」
 中3の女子です。さっきお父さんに怒ってしまいました。理由は、お父さんの職場にあんまり仕事のできない人(Aさん)がいるらしいです。それでお父さんやお父さんの職場の人がAさんのいないときに愚痴ったり話しかけられてもそっけない態度にしたり。あとAさんは脳のガンになっていたことがあり少しの間仕事を休んでいたらしいんですが、その時に陰で「このまま来れなきゃいいねん。」という最低な事を職場の人が言ったりしているらしいです。お父さんも結構冷たい態度で接しているらしいです、もういじめにしか思えません。それにムカついて「ださいねんっ、いい歳こいたジジイらが何やっとんのじゃ!かげでネチネチ愚痴りやがって中学生か!うっといねんっ、そういうやつらが1番嫌われんねん、愚痴られる人の気持ちも考えろ!」っと言ってしまったのですが…。言い過ぎだと思いますか。口悪くてすいません…私はいじめられた事があるので、この話を聞いて凄くむかついてしまいました…。
 大人社会の醜さを自分の経験に照らし合わせ,絶対に許せないという気持の反面,父親に乱暴な口をきいてしまったという反省,大人ってそんなもんかという怒り,理解してもらえるのかという不安や戸惑い。沢山の心のザワザワを抱えた彼女に、どのような回答だったらベストなのでしょうか?