3月20日 「子どもの力は本当にすごい」

 先週の金曜日16日に、平成29年度の終了式と3名の先生方の離任式を執り行いました。いつもより少ない人数の終了式でしたが、誰もがしっかりと前を向き、話しをしっかりと聴く姿勢はいつも通り本当に立派です。不自然に体を動かしたり、ニヤニヤする子が一人もいないのですから、話す方も緊張します。普段は元気に大騒ぎするけれど、場をわきまえる時はきちんとやる。本当になんて格好良い子ども達なんだろうといつも思います。「やるときゃやるぜ!PJS」来年の教育目標にどうでしょうか。
 さて本校の高校入試は全国区対応を強いられますので、中には卒業式の日には戻れない生徒もいます。大変申し訳なかったのですが、今年は一人の女子が参加できませんでした。そこでせっかく全校生徒が集まる日なのだから、もう一度体育館で卒業証書授与式を行うことにしました。来賓まではお呼びできませんでしたが、職員、後輩みんなの見守るなか、彼女は笑顔で立派に卒業証書を受け取りました。看板だってちゃんと設置しましたし、何より同級生の全員がちゃんと式に参加してくれました。本当にすばらしかったです。
 一生に一度だけの中学校の卒業式、来年は全員が出られるよう期日を工夫してみました。何事もなく、全員でできますよう神様にお祈りしたいと思います。幸いここペナンには、本当に沢山の神様が世界中から集まっていますので、お祈りもかなり効率よく聞いて頂けそうです。
 そして、もう1つびっくりしたこと、それは離任式でした。日本では、最近は離任式が簡略化される方向にあり、昔のように校庭で多くの卒業生や保護者と訳れを惜しむ姿はあまり見られなくなりました。卒業式でも「仰げば尊し」が歌われなくなったのと同じなのかもしれません。個人的には、「仰げば尊し」は大好きで、古典の「係り結びの法則」を実体験させてくれた歌として心に残っています。「身を立て名をあげ」が悪いというけれど、それぞれ個人の思いで解釈すれば良いとおもうのですけれど。(いつも通り脱線しました。)
 で、離任式ですが、これが泣くんです、沢山の子ども達が。最初は嫌に目をこする子が多いなと思って見ていたのですが、エアコンの風が強くて目が乾くのかなどと思っていました。沢山の小さな子が別れを惜しんで涙を拭く姿。思わずもらい泣きです。こんなにたくさんの子ども達が涙を流す離任式は初めてです。どんな送別の言葉よりも、帰国する先生方の心に残ったことでしょう。最高のお別れの贈り物を頂き、石橋教頭先生、田畑先生、田村先生は教員としての最高の喜びを胸に帰国の途につかれました。いつもいつも感動を与えてくれる本校の子ども達への感謝で一杯です。子どもの力は本当にすごい。(菅原教諭のまねでした。)
 おかげさまで本校の平成29年度は無事幕を下ろしました。また数週間後には、あの元気な挨拶とともに30年度が幕を開けます。様々なドラマを期待しつつ、今年度の校長室の窓もいったん閉じさせて頂きます。およそ学校のHPにはふさわしくないような内容におつきあい頂きまして感謝申しあげます。ありがとうございました。
3月14日 「卒業式がおわりました」

 中三と小六の卒業生23名が去り、見慣れた姿のない空っぽの教室を見るのは本当に寂しいものです。在校生はいつもの通り元気いっぱいなのですが、いざという時に本当に頼りがいのあった最高学年の子ども達がいないという不安のようなものが心の隅にあるような気がします。教師側がこんなではいけないのでしょうが、それほど頼りがいのある、すばらしい先輩達だったということなのでしょう。自分も何度も卒業生の担任をしたことがあるので、担任だった先生方の寂しさは本当によくわかります、4月の始業式の日に初めて子ども達の前に立つときには、誰もわかっていることなんですけどね。そして4月には、いつのまにか1つ上の学年の顔になった子ども達と、また笑いと涙の毎日を過ごすのですが、よく考えて見ると教師って本当に幸せな職業だと思います。
 学校によっては、そんな事を感じる暇もないほど疲れ果てる先生方もおり、不幸にして病に倒れたり命まで落とす人までいるのですから、自分たちは学校を支えてくださる人たち全部に感謝しなければなりません。何よりも、先生が、友達が、学校が大好きだといつも笑ってくれる子どもたちに感謝です。そんな寂しい中でも笑わせてくれた昨日、今日の出来事を2つ。
 卒業式だと言うのに、床屋に行くのを忘れていた校長、次の日に18リンギを握りしめていつもの床屋さんへ、初めてのお姉さんだけど、なんだか右を刈り左を刈り上を刈り、また右を・・、短くなればでもどうでも良いからと言ったら、なんだかジャニーズ系の頭になってしまった。次の日何人もの女子(男子はゼロ)が、「キャハハ、校長先生髪切ったの」「ジャニーズを意識してみました」「??・・・・」ある子がそのまま走って行って、友人の女子とこっちを見て何やらひそひそ笑っている。近づいて行って「何?、そんなに似合う?」と聞いたら、マジ顔で「二度と言わない方が良いと思う。」自分からお願いした訳ではなくて、成り行き上こうなったなどという言い訳は通用しないようです。相手にしてもらえるだけいいけど。
 その二、ふと気がつくと校長室の校庭側の窓から2つの顔が覗いている。「どうしたの」「校長先生、その金庫に何が入っているんですか?」「これ、大切な書類だよ。皆がこの学校にいたことを記録してあるものとか」「暗唱番号は誰が知ってるんですか」「秘密、暗証番号よりすごいものがある」「何ですかそれ」「アナログキー」「絶対大金が入っているんだ、キャハハ」それの何が面白いのかはよくわかりませんが、自分たちは自由に出入りできない校長室にあるでっかい金庫、子ども達にとって、金庫とは文字通りお金の入っているものらしいです。

2月22日 「パイロットになりたい」

 チャイニーズニューイヤーのお祝い騒ぎが一段落したら、あっという間に年度末です。一年に三回も四回も新年を祝う場所って何なの?と思いながらも随分楽しませて頂きました。「イ~サ~ン!!」もやらせてもらったし。先生方は卒業式や入学式の準備に大忙し、帰国する先生はさらに大忙しです。中三の教室は日本での戦いを終えた生徒が、一人また一人と戻って来て少しずつ賑やかさが戻ってきました。すっかり成長した低学年の子達は、毎朝縄跳びの記録更新に挑戦中。それぞれが、進級や卒業を控えてラストスパートというところでしょうか。
 さて、本校には将来はパイロットになりたい(しかもジェット戦闘機)という女子がいますが、時代が変わったというか飛行機が珍しくなくなったというか、男の子達はあまり興味がないみたいです。ある日なぜ飛行機は飛ぶのかという話しから、翼の面積や形の話しになり、デルタ翼という言葉とコンコルドという旅客機の話しに発展しました。フランスとイギリスが共同で開発した音速旅客機で、怪鳥というあだ名のとおり、主翼と尾翼が一体化したデルタ翼を装備し、音速で飛ぶための衝撃波対策のノーズコーンが、離着陸の時には視界確保のために折れ曲がったりして、当時の旅客機の常識をひっくり返すほどの格好のいいデザインに飛行機小僧の自分は本当に憧れたものです。しかしいつの間にか、高額、燃費、騒音、100人しか乗れない、などという現実的な問題や、離陸時に他のジェット機が落とした部品を踏んづけ燃料タンクを破損、そのまま離陸、発火、火だるまで墜落といういたましい事故をきっかけにその姿を消しました。
 このコンコルド、実はたった20機しか作られなかった採算のとれない機体ですが、航空会社に売却されたコンコルドのうち、機体番号100番が完成後行方不明になっていたのです。で、なんと40数年ぶりに、フランス南西部の小さな町で発見されちゃいました。しかも個人宅の庭で。庭?庭っていったいどんなにでかい庭なんじゃ?機体は間違いなく1971年製造、製造番号100番で、何者かによって駐機場から盗み出され、行方が知れないままになっていたのだそうです。持ち主(?)の祖父が昔駐機場の技師だったのですが、コンコルドを1機まるごとソ連に売却するという目的で盗み出した機体を自宅の庭に保管、分解して部品単位でソ連に送り、ソ連側はそれを組み立てていたのだそうです。あんな大きな飛行機をどうやって盗み出せたかは全く謎。不思議な事もあるもんです。子ども達は、コンコルドにはあまり興味はなさそうでしたが、飛行機を盗むという大胆な行為と、40年も庭においておいたというところはうけていました。(校長一安心))
 ちなみに、本物のコンコルドを見たい方はニューヨークのマンハッタンをお勧めします。マンハッタン西岸・86番桟橋にある、イントレピッド海上航空博物館は、航空母艦イントレピッドをそのまま博物館にしたもので、コンコルドはその横の桟橋に展示されています。映画「ハドソン河の奇跡」でトムハンクス演じるサリー機長が、ベトナム戦を思い出しながらF-4を見つめるシーンのあそこです。夜のライトアップ時はまるで異次元の世界、あたりはラブラブのカップルだらけですが、そんな中、一人でうっとりとコンコルドを見上げる変なオヤジが必ずいますから、声をかけずにそっとしておいてあげてください。(飛行甲板上のSR71ブラックバードもかなり格好いいけど)
1月30日 「鯉の通り道」
                 
 タイプーサムに続き旧正月を祝うお祭りの雰囲気一杯のペナンですが、子ども達もそれに負けないほど毎日元気に登校してくれています。日本ではなんだか恥ずかしい大人の不祥事のニュースばかり。感動にひたれるはずの冬のオリンピック、パラリンピックもいまいち盛り上がりに欠ける感じで、純粋に頑張る子どもたちに大人として何となく後ろめたい気がしてなりません。そんな中でも、毎日笑顔で元気と勇気を与えてくれる本校の子ども達に心から感謝です。
 さて、昔は昔でしかないのですが、私の小学生時代は近くの久慈川と里山が毎日の遊び場でした。思い起こしてみると、そういった遊びの中で、周りの大人達がいろいろな情報を発信してくれていたことに気づきます。食べられる木の実や茸、毎年スズメバチが営巣する場所、洞穴には必ずろうそくの火をつけて入る(消えたらすぐ出る)、用水路の水門を絶対に開けてはいけない期間等々。絶対にしてはいけないことをきちんと教えてくれて、後はガキっちょどもの判断に任せるという、今思うとなかなかナイスな指導でした。そして、当時の子ども達の遊びのエリアには、すぐ近くではないにしろ、たいてい誰か大人が農作業等をしていて、マムシに噛まれたり、ターザンごっこのツルが切れて顔中血だらけになっても、大声で助けを求めれば誰かが駆けつけて来てくれたのでした。たまに誰もいなくて、怪我人をおぶって近くの家に駆け込むこともありましたが、農村のライフスタイルの中には、いわゆる子どもたちを守る防衛システムがちゃんと機能していたんですね。そして子どもの方もタフでしたから、かなりの怪我でも「赤チン」塗って「おーイテ~」なんていいながらすぐに遊びに復帰するのが普通でした。
 そんな中、いつも酔っ払っている「ク○やん」と呼ばれる爺さんがいました。彼は私たちの釣りの師匠でしたが、あるとき「鯉」には通り道があるのだということを教わりました。夏休みの自由研究のテーマに悩んでいた(そんなたいそうなものではないですけど)私はひらめきました。「これだ!学校の宿題であれば、毎日胸を張って釣りに行ける!」それから夏休み中ほとんど毎朝晩、鯉の通り道を見つけるために川にでかけました。研究といっても、模造紙に描いた川の図面に、釣れた魚の種類や大きさ、餌や時間などを書き込んだだけのものでしたが、自分ではかなりの力作だと自負していました。いよいよ始業式の日。担任曰く「おまえ夏休み中ずっと釣りばかりしてたのか。ふーん、ここが一番鯉が釣れる場所なんだな。」「そうなんです先生、鯉には通り道があるんですよ。」「ま、鯉釣りの常識だわな。それにしてもよく通ったもんだ。」誉められたんだか、呆れられたんだかわかりませんが、この大研究は少しの間理科室に掲示してありましたが、いつの間にか無くなっており、その後も返してもらえず結局行方不明のままです。今だったら担任は家庭訪問ものですが、当時はまったく気にならなかったのはなぜなんでしょう。
 この話は後日談があって、その後例のク○やんから、「茹でたくずイモやジャガイモを沈めておくと、そこが魚道となる。鯉は一日一寸、10日もやれば一尺もんだ。」とご教授頂いたものですから、学校から帰ると家の裏の炊き場の「あらぬか釜」に火をおこしてせっせとくずイモを茹で、網に詰めたものを毎日川のめぼしい場所に内緒で沈めに行きました。ちょうど10日くらいたった日曜日早朝、釣り道具を積んだ愛車「流星号」のペダルを必死でこいでポイントに急いでみれば、そこにはすでにク○やんが何本も竿を出しているではありませんか。しかも魚籠にはでっかい鯉が二匹も。ク○やんは私に気づくと、タバコの煙をフーっと吐き、ニヤリと笑いました。つくづく「大人って汚ねーな」と思った秋の日の朝でした。
1月18日 「ある日の昼休み」

 朝晩肌寒い日が続くペナンですが、子ども達は元気そのもの。思いっきり駆け回れる中休みと昼休み、グラウンドは子ども達と先生方の歓声で一杯です。思えば数十年前、初めて教員になって赴任した小学校。当時はまだ平屋で校門には国民学校の文字が刻まれていました。先輩の学年主任に明日から何をどうしたら良いのでしょうと聞くと、「新採のお前なんかどうせ何もできないから、とにかく一緒に遊べ。遊びながら子どもに教えてもらえ。」と言われました。よーし、徹底的に遊んでやると思い、とにかく休み時間いっぱい夢中で遊びました。いつの間にか学年主任のクラスの子ども達まで一緒になり、校庭前の田んぼや川にまで進出、勝手に休み時間を延長して校長に怒られたこともありました。
 子どもの遊びというのはまさに社会的な活動であり、人間関係スキルの習熟と実践、鍛錬の場です。遊びながらよく観察していると、言葉や行動が本当に興味深く、その子の考えや思いがよくわかります。特にルールでもめたり、自分がピンチに陥ったときなどはそれが顕著です。教室の中で強い発言権を持っている子が案外臆病だったり、おとなしくて目立たない小さな女の子が誰よりも高いところから平気で飛び降りる度胸の持ち主だったり。保護者にしてみれば、経験のない若い新採なんていわゆるハズレの担任だったのでしょうが、本当に楽しく過ごさせて頂きました。今では立派な親になった当時の子どもや保護者の方達とは今でも付き合いがあります。
 さて本校の昼休み。一年生が女子一人男子6人の7人グループでじゃんけんをしています。どうやら鬼ごっこの鬼を決めるためのじゃんけんのようです。7人なのでなかなか勝ち負けに分かれません。そこでA君が「二人ずつに別れよう。」と提案。余ってしまった一人が困っていると、「僕たちは三人でやり直し。」とB君。結局一人しかいない女子が負けてしまいました。「女の子は鬼をしなくていいよ。」とA君。暗い顔から急に笑顔の女子「私は鬼はやらない。」とはっきり宣言。さて負け組三人の内の男子A君とC君の二人が再勝負。結局C君が負けて鬼に決定、かと思いきや、A君が「僕に鬼をやらせて。」大喜びのC君はさっさと逃げの体制に。だったら始めからA君が鬼をやればいいんじゃないのと思いましたが、彼らにしてみればそれぞれの思惑や結論に達するまでの過程が大切なのでしょう。ルールがあり、それにも例外や特別扱いがあり、思いやりもあり、自分の思いを通したい気持ちもある。ほんの一分少々の時間ですが、彼らなりの見事なやりとりを見せてもらいました。子どもの遊びって本当に大切だと改めて思った昼休みでした。残念ながら、どう見ても鬼ごっこの足手まといになりそうな校長には最後まで声はかかりませんでした。
1月10日 「今年もよろしく御願いいたします」

 1月も1週間以上が過ぎました。紅白も見ず、除夜の鐘も聞かず、初詣もしないいつもと違う新年の雰囲気の中、年明けをなんだかダラーっと過ごしている自分が情けない。始業式で子ども達に「一年を通してやりきれる目標を立てよう」などと偉そうに言っておきながら、すでに年頭の目標をわすれかけて騒いでいる自分が恥ずかしいです。今年は心機一転、山積みの課題を一つずつ解決できるよう、気を引き締めて(お前は身を引き締めろと言われそうですが)職員一同頑張って行きたいと思います。昨年同様ご支援よろしく御願いします。
 さて、ダラーっとしていた割には、正月早々随分前から欲しかったものを手に入れてしまいました。物欲をなくせと言われ続けて数十年、小さい頃に買ってもらえなかった反動でプラモデルやフィギュアを大人買い、家の押し入れに入らなくなったお宝(家内はガラクタと呼びます)の倉庫を庭に建てたら震災で中がぐちゃぐちゃに、なんとか整理し直して後ろ髪を引かれながらペナンへ。とにかく現地では変なものやくだらないものを集めないようにと堅く禁止されていたのですが、極楽寺で見つけた亀のチープなオモチャを買ってしまってから禁欲意識崩壊。見るもの、触るものみんな欲しくてたまらない病が発症。その中でも絶対に欲しい、手に入れたいと思っていたものに出会ってしまったのです、この正月に。
 場所はマラッカの路地裏、毎週日曜日の午前中に開かれるガラクタ市(本当にガラクタを売っている)。その中に忽然と建つ、タイガービアタワー。時々カフェなんかで暇そうなお兄さん達がテーブルの上にたっぷりビールと氷の入ったタワーをぶっ立てて、自分でグラスに注ぎながらワイワイやっているの見たことありませんか。そうです、あの青とシルバーのタワーです。前から欲しかったのですが、店のおじちゃんに聞いても「売り物じゃねーよ」。観音寺の近くの酒屋の親父に聞いたら「うちにはねーよ中身だけ」、スーパーの酒担当に聞いたら「飲み屋にメーカーが貸し出すみたい。」これはいよいよシンガポール本社侵攻作戦しかないかと思っていたところなので、ここはもう一歩も引けません。
 中華系の怪しい笑いを浮かべる店主に、さも興味の無いふりをしながら(声は震えている)「いくら」「ナインティ」「(わざと)ナインティーン?」「ノー、ノー、ナイン ゼロ」「はー、たっかーい(いきなり日本語)いらねーわ(本当は死ぬほど欲しい)じゃあね。」わざと余裕を見せつけて、倒れそうになるくらい後ろ髪を引かれながら、わざと遠くまで歩く(暑い)。頃合いを見計らってUターン、近くまで戻ったらわざとスピードダウン、他のガラクタを見るふりをして、オヤジの声かけを待つ小野校長。緊張の時間が流れる、通り過ぎる、あれれ声をかけてくれない。また最初からUターン、(暑い)二度目の接近(あ、やばいよー、手に持って見ている人がいるよー)ピンチ!オヤジと目が合う、客がタワーを置く、すかさず小野校長タワーを手に取る、オヤジにやりと笑う。
 結局50リンギまで値切ったけれど、なんだかオヤジの罠にはまったきが気がしてなりません。その後、空港でマリン・ド・エアの職員とすったもんだしながら、ずーっと抱えたまま家に持ち帰りました。誰がなんと言おうと、欲しいものは欲しい。これは自然の摂理ですから。