7月27日 「あっという間に夏休みです」

 「窓」ぐらいきちんと開けなさいというお叱りを受ける覚悟はできているのですが、何とも弁解の余地はありません。本当に長い間子供たちの様子をご報告できずに失礼しました。
 さて、いよいよ夏休みです。子どもたちは学校に来れないのは寂しいけれど、お母さんと一日ずっと一緒にいられたり、お爺ちゃんやお婆ちゃんに会えるのが嬉しいといいます。それとは別に中学部の三年生は「休み」ではなく「勝負の夏!」ということで不安ながらもやる気満々という感じです。それぞれの夏、どれだけ成長してくれるかとても楽しみです。もっとも今年はペナンより日本のほうが暑いぞという情報を頂いています。自分できちんと生活をコントロールしなければならない一か月、熱中症等にならないよう十分に注意してほしいと思います。
 なぜかは分かりませんが、私の頭の中の夏休みというのは小学校時代の思い出で止まっています。中学でも高校でも夏休みはあったはずなのですが、イメージは小学生の時のものそのものです。毎日の川遊び、カブトムシ捕り、セミの鳴き声、子供会の海水浴、野菜畑での収穫の手伝い、縁側での昼寝、親せきが集まるお盆、泊まりに来ている従妹との花火等々。今でもはっきりと思い出すことができ、その時の河原の焼けた石や雑木林から漂ってくるスイカズラの匂いまではっきり蘇るのはなぜなのでしょうか。
 お盆が過ぎ、甲子園のコンバットマーチが聞こえるようになり、セミの声もアブラゼミからツクツクボウシに変わる頃は、従妹もいなくなり、一挙に寂しさが増すと同時に、全く手を付けていない宿題がおもーくのしかかる、こんなことを毎年繰り返していたのですね。絵日記は全ページ川の絵、天気は予想、中身は一日でやったことを一週間分に引き伸ばして書く。先生もおおらかでこんな苦肉の策に良く付き合ってくれ、「すごいね」とか「格好いい」なんて赤ペンを入れてくれました。すべてわかっていても、ちゃんと計画的にやりましょうなんて一言も書いてありませんでした。世の中のすべてに余裕があった時代だったのだと思います。
 当時の主な宿題は国語と算数が一冊の問題集になった「夏休みの友」と呼ばれるものでした。各ページに日付が入っていて、毎日計画的に取り組むよう書いてあります。それでなくても遊びで毎日のスケジュールは一杯なのに、勉強の計画なんかできるわけない、時間の空き(大抵は8月31日)を見つけて全部やってしまうしかないと本気で思っていました。終業式に受け取るときいつも「こんな悪魔のようなものを友だちにする人なんかいるわけない、名前をつけた大人って馬鹿じゃないの」と思っていたのですが、担任の先生が怖くて口には出せませんでした。最近では子どもの考え方をよく理解していた大人のブラックジョークだったのかも知れないと思ったりもします。今でもあのある意味勘違いネームは使われているのでしょうか。
6月8日 「運動会無事終了です」

 「窓」が随分長い間閉まったままでした。毎日笑ったり泣いたりの連続で、お伝えしたいことは山ほどあるのですが、体力と根性がついてきませんでした。せっかく楽しみにしてくださっている方々に申し訳なく思っております。
 さて、今年も素晴らしい運動会を見せてもらいました。どの種目を見ていても夢中で頑張る子どもたちの姿に熱いものがこみ上げ、ずっと涙目でした。感涙というのでしょうか、うれし涙というのでしょうか。小さな体を精一杯動かし、本当に楽しそうに競い演じる姿が忘れられません。そして、あの笑顔。やらされるのではなく、自分たちで作り上げたものを、大勢の人たちに見てもらえるのが嬉しくて仕方がないという、満面の笑みです。本当に一人としてつまらなそうな顔をしている子はいませんでした。心から感謝です。
 1年生のある子は、お母さんに「ずっとこの学校にいて、あの中学生みたいになりたい」とお話ししてくれたそうです。頼られ、それにこたえることで育つ自己有用感と自尊感情、未来の具体的な目標としての姿を教えてくれる先輩たち。学校に暮らす子どもたちの理想の姿がここにあります。
 保護者も立派でした。昨年は課題となったゴミの処理が今年は完ぺきになされました。子どもも大人も共に育つ、学校行事の理想の姿です。
 終了した後も、学校のあちらこちらで素晴らしい光景が見られました。お世話になった先生方に自発的に並んでお礼を述べる中学生たち。上手に踊れたお礼を面倒を見てくれた先輩たちに伝える後輩たち。もう一回やりたいと言う低学年の子どもたち。本当に誰もが、自分以外の人たちに心から感謝を伝え合った放課後でした。校長として何も思い残すことがない、最高の運動会でした。
 今校庭では、体育の時間の五、六年生が紅白リレーの真っ最中です。なぜ今再びなのかは聞いてみなければわかりませんが、改めてもう一度競いたい理由があったのでしょう。本校の子どもたちと先生方のすごいところは、「終わったのだからいいや」で済ませないこと。あとで理由を聞くのが楽しみです。
 中学部はハリラヤ明けには定期テスト、生徒会長からはすでに「切り替えを素早く」との挨拶がありました。未だに余韻に浸ってボーっとしている校長よりよっぽどしっかりしています。
5月18日 「運動会練習真っ盛りです」

 毎年この時期になると、ほぼ小中一貫校と同じ本校の運営上のメリットがより実感されます。それが最も顕著なのは、先輩から後輩に伝えるもの、特に音楽クラブの太鼓の練習や、今まさに真っ盛りの運動会の練習です。
 運動会の5月、6月実施は大分前から定着していますが、最初は9月に体育祭として実施される中学校での熱中症対策が主な目的だったようです。確かに中学生くらいになれば、今の時期の体育祭はクラスづくりや人間関係の絆づくりに大きな役割を果たすものですし、初めて先輩方の色々な洗礼を受ける時期の新入生には、先輩方のある意味恐ろしいほどの健闘ぶりや、うれし涙、悔し涙を観ることは、これからやるべき事とやってはいけない事の基準のようなものを知るための、大事な経験のような気がします。
 しかし、小学生はそうは行きません。新入生などはランドセルを背負ったままでは未だにまっすぐ歩けなかったりするのに、号令の元、一糸乱れぬ集団行動をするなんてそりゃあもう大変な事です。それを指導する先生方などはもう神々の世界の人のよう、成長段階に合わせれば、運動会は9月開催だって大変な子もいるのが実際です。なんかグチャグチャなところが、新入生の新入生らしいところなのですが、案外世間の目は厳しくて、「一年生がもう少しきちんとできると良かった」とか「二年は一年より整列がへたくそだ」なんてありがたい感想を述べてくださる方も時々おられます。そういう方々は自分が子どもだった事を忘れてしまうのでしょうね、もしかしたら生まれてすぐ走ってたりして。この時期の低学年の指導の大変さは、同じ年齢のお子さんが家に数十人いることを想像して頂ければわかりやすいかもしれません。
 そこで本校の場合は、いや本当に先輩がよく頑張るんです。あれやこれや、それはもう大変な小さい子達の指導を汗だくになりながらやってくれるんです。しかも決して諦めずに丁寧に。「何度言ったらわかるの」とか「なんでできないの」なんて絶対に言いません。いつも大人かからそう言われる立場だから。そして本当にすごいのは、自分の役目は、教え方はこれで良いのかといつも反省している事です。本当に苦労しながら何かを知らない人に伝える、できない人に教えるという難しい経験をこれだけしていれば、立派な自己有用感が育つことでしょう。そして、苦労して皆で作り上げたものが沢山の人から賞賛される時、きっと彼らは今生きていることの手応えを実感するのだと思います。
 昨年の運動会の作文を読んでみると、多くの子ども達がきちんとお兄さん、お姉さん達への感謝の気持ちを綴っています。頼る子と頼られる子、一昔前の日本にはこういった関係で成り立った子ども社会がどこにでもありました。先輩に守られながら見よう見まねで遊びに参加し、怪我をしたり辛い思いをさせられたりしながらも集団生活の規律とルールを学び、いつの間にか交代で年下の面倒を見る先輩になって行ったのです。
5月7日 「新年度が始まりました」
 
 新年度が始まり、約二週間が過ぎました。担任の先生方のものすごい勢いのスタートダッシュを見ながら、「りきみすぎるなよ~、自然体でいけよ~。」なんて心で思いながら、ふと現実をみると「校長、あんたの窓が一番遅れてるから!」なんて声が聞こえて来そうです。職員に「初心忘るるべからず」なんてえらそうに語った割には、すっかり忘れている自分をしっかり反省しなければなりません。なんて言いながら「だから教員は口だけなんだ」と言われぬよう、せめて年度の初めくらいはしっかりと気を引き締めましょう。
 本校に勤務していると、つくづく管理職はいいなあと思います。いつもお話している事ですが、こんな小さな学校でこれほど優秀な教員ばかりを配置できることは、日本ではまず考えられません。こういった言い方は失礼かも知れませんが、どの社会でも同じように、自分を含め教員の全てが本当に優秀なわけではありません。それぞれに得手不得手もあり、人間ですからうまくできない事もたくさんあります。そういう部分をお互いに補い合って、補充し合って学校は運営されます。そこら辺のコントロールが管理職の腕の見せ所なのですが、本校はそんな心配がほとんどない、恐ろしくレベルの高い先生方の集まった学校なのです。色々なところでお褒めの言葉を頂きますが、本当はそういう先生方が褒められるところなのに、学校の代表としていつも校長が褒められているという、何とも嬉しいスパイラルができあがっているんですね。つくづく管理職っていいなあと思います。
 しかしこのスパイラル、管理職が自意識過剰だったり、自分を客観的に見ることができなかったりすると大変な方向に大きく渦を広げ、あたかも自分のおかげで、自分の手柄で学校がすばらしく運営されていると勘違いを起こします。その結果、子どもや、保護者や、職員の思いが見えなくなり、ある意味学校の私物化が始まるわけです。最悪の場合は世間知らずだったり、経験不足で視野の狭い教員までが、その勘違いの渦に巻き込まれてしまい、学校がグチャグチャになってしまったことを、何度か実際にこの目で見てきました。こうなると犠牲は子どもたちに始まりどんどん広がる一方です。そう思うと、やっぱり管理職って責任重大な職務です。
 熱心に教材研究や学級通信の作成に取り組む先生方の隣で、校長が「今年の裏庭のランプータンは大豊作だぞ。」とか「フェンスの向こうにはなんとジャックフルーツの木があった、収穫はいつしたら良いんだろう。」なんて騒いでいられる幸せに感謝すること。そして、スタッフの皆さんの努力こそがこんなつまらない事でも、笑って楽しむ余裕を与えてくれていることに感謝すること。このことを今年一年間ずっと忘れずにいたいと思います。