3月7日 「卒業式の練習が行われています」

 13日の卒業式に向け、毎日練習が行われています。中三は7名のうち3名しかいないなか、最高学年生らしく粛々と練習していますし、小6も先日一人帰国した子がいますが、いつも通り全員が淡々と役割を果たしています。1回目の全体練習で70点の評価を頂くほど、本当にすごい子ども達です。君が代、校歌の声の大きさも十分、小学部の子達もきちんと座ってしっかり背筋をのばして前を見ています。式というのはある意味我慢の訓練の場ですが、式の大切さを担任から聞かされていてもなかなか此処まで出来る子達はそうはいません。多分彼らにとって卒業生は関係のない年上の人達ではなくて、いつも家族のように関わってくれた大切な人達なのだと思います。その大切なお兄ちゃんやお姉ちゃんの晴れ舞台だから、しっかり頑張ろうとする意識が生まれるのでしょう。本校の良いところはこういう所なのだと痛感させられる場面です。
 卒業式は教員という職業の醍醐味の1つだと思います。中学校の3年生を十数回担任し、何人もの卒業生を呼名しましたが、あの時間は緊張しながらも、頭の中に生徒達とのいろいろな思い出がよみがえり、色々苦労もしたけれど、もう明日から会えないのかという寂しさで涙が溢れそうになるのを我慢して、一生に一度の呼名という役目に心を込める時間なのです。卒業生を担任するというのは、小学生も中学生もやはり大変なことですが、そういった様々な苦労や、色々な複雑な感情や思いがあの呼名と返事の一瞬で思い出に変わり、担任として慕ってくれた子ども達にただただ感謝の気持ちで一杯になる、そんな不思議な瞬間で、担任と子ども達との阿吽の呼吸でおこなう最後の協働作業なのです。
 人の子でもこんなに愛おしく感じるのだから、お父さんやお母さん方の気持ちはどんなでしょうか。私は残念ながら自分の三人の子ども達の卒業式には一度も出られませんでしたが、ちっとも残念だと思った事はありません。それはきっと、呼名する担任の先生の思いがよくわかっていたからだと思います。
 さて、二年間お世話になったペナンともいよいよお別れしなければなりません。来た時からわかっていたことではありますが、二年間は本当にあっという間でした。すばらしい子ども達と保護者の皆様、関係機関の皆様のおかげで、色々な事を学ばせて頂きました。本当にありがとうございました。正直教職を終えるという事がこんなに寂しいものだとは思いませんでした。当たり前のように入っていた教室や職員室にも、もう許可を頂かなければ入れませんし、何より子ども達と自由に話しが出来なくなるのが辛いです。最後に勤務した学校が自然豊かな環境にあり、日本のようにイライラ・ギスギスしないで楽しく過ごせた事に感謝しなければなりません。昨日お別れを言いに行った裏の川のカワウソ家族は子どもが増えて大家族になっています。「最近野犬が巣の近くに行くから、気を付けなよ」と言ってみましたが、魚をバリバリかじるばかりでこちらを見もしません。カワセミや名前のわからない鳥に「お世話になりました」と言った瞬間に飛んで行ってしまいました。水オオトカゲの昼寝場所に行ってみたのですが、留守でした。自然は厳しいです。
 これまで学校便りやこの校長室の窓に応援の手紙を何通か頂きました。本当にありがたかったです。訳のわからない年寄りのぼやき集のような便りでしたが、二年間もお付き合い頂きまして本当にありがとうございました。心より感謝申しあげます。
2月22日 「最近のPJSの話題から」

 先日「読み聞かせボランティア」の母さん方が、パネル・シアターというものを子ども達に公開してくださいました。本校の読み聞かせのお母さん方はとても熱心かつハイレベルなスキルをお持ちの方々ですが、いや本当にすばらしかったんです、このパネル・シアター。
 「笠地蔵」のお話しだったんですが、語りも歌も生、背景の音響も生ピアノ、台詞はまるで日本昔話の声優さんレベル。体育館に集まった本校の児童生徒全員が、一言もしゃべらずに真剣に聴いています。全員雪の降るお正月の山里にタイムスリップ。中学部の生徒も食い入るように観ていました。準備は大変だったと思いますが、素晴らしい時間を過ごさせて頂きました。また是非公演して頂ければと思います。来年のペスタあたりで特別講演なんていかがでしょうか。
 その日はその後1,2年生の校外学習の引率でボタニカル・ガーデンへ。去年は雨の多い時期でしたが、今年は晴天(と言うよりは日照り)で子ども達も大喜び、普段とは違う顔をたくさん見せてくれました。
 自然観察の時間はもう大騒ぎ、小川でカメをみつけたり、アメンボを棒で脅かしたり、小魚の群れは影を探した方が見つけやすい事を発見したり、巨大なヤスデに驚いたり。自然の中で生き物と遊ぶことは、本当に子ども達を生き生きとさせててくれます。こういった集団での遊びは、それぞれの子ども達の個性や特徴を行動を通して教えてくれます。一段高いところに立って、あれこれ先生のように指示する子、とにかく棒を使って何でもかんでも突っついてみる子、目の前に現れるトンボや蝶の名前を次々に披露する子、観察に飽きて川の中の石を跳び始める子、その後を恐る恐るついて行く子、どうしても足を水に入れたい子、皆がいなくなった頃合いを見計らって触れなかったカメの場所に戻る子。本当に個性豊かでいつまで見ていても飽きません。靴を濡らしてしまった子は、困った顔をしながら靴下と靴を干して、裸足で友達の処に戻りました。
 初期の発達段階の子どもにとって過ごす時間とは、全て体験を意味します。自分の実体験と学んだ知識を上手に融合させて、生きる力を自分で自分の中に育てるこの時期、沢山の友達とする体験を大切にしたいと改めて思いました。
 予定通りお弁当の時間は猿軍団の襲撃を受けそうになりましたが、今回は専門家にボスザルへの対応方法を教えていただいていたので、校長対ボスザルは校長の完全勝利。1,2年生の間でちょっぴり校長の株が上がりました。

2月22日 「骨髄バンク」

 先日、水泳の池江選手が白血病であることを公表しましたが、自分の病気を世の中の人に公表するというのは、どんな立場にあってもとても勇気のいる行為だと思います。しかも命に関わる大変な病気なのに。あのレベルの運動選手になると、気構えというか精神力というか、危機に対するメンタルの強さというのは本当にすごいのだなあと思いました。しかもまだ18歳なんですね、本人のかかえる不安を思うと本当に早く良くなってほしいと思います。彼女にとって、今は水泳は命と同じくらい大切なものなのでしょうが、生きていなければそれもできませんから。親に心配かけながら、バイクで走り回るしか能のなかった18歳の自分を思い出すと、本当に恥ずかしい限りです。
 急性の骨髄性の白血病の場合は骨髄移植という治療方法がありますが、私も骨髄バンクのドナー登録をしていました。していたというのは、ドナーの年齢制限が55歳までと決められているからです。他になぜか体重制限というのもあって、デブがなんでダメなんだと怒ったりもしていました。(正しくは45㎏以上BMI30以下)なぜいつも食べることと釣りのことしか頭にないあんたがドナー登録者なんだと思う方も多そうですが、30数年前、私は常陸太田市の峰山中学校というところで、3年3組の担任をしていました。受験生の抱える悩みはいつの世も同じです。「皆同じ、やるしかないでしょう」と言っても、なんだか青い顔してどうしようどうしよう。そのうち、そんな勇気もないくせに死んだ方がましだなんて言い出す生徒もいたりして。
 そんな時、地方紙の日曜版に北茨城市の関口隆介君という小学生が、骨髄移植のドナーを探しているという記事が写真入りで掲載されました。このままでは命をなくすかも知れないという不安の中、明るい笑顔で母親と写真に写る隆介君の姿をみたとき、お母さんの「私たちはお願いするしかないから」という言葉を読んだとき、「こんな小さな子でも必死で闘っている、それに比べて今の自分たちの悩みなんて悩みと言えるのか」という事を生徒に伝えたくなり、記事を印刷して朝の会で配りました。最初は特にこれといった反応がなかった生徒達ですが、一人また一人、職員室の私の処に来ては感想や思いを話しはじめました。その後何人かが隆介君に応援の手紙を書きたいと言いだし、結局クラス全員が応援のメッセージを送りました。今でも覚えていますが、それぞれの性格やキャラクターがよくでた、中学生らしいメッセージでした。真面目なS君は「君のために何かしたい」、スポーツ大好きのA君は、「親戚中に登録するよう連絡するから、それまで絶対死なないでくれ」、一番のツッパリM君は「協力はするが同情はしない」等々。この手紙がきっかけで隆介君と3年3組の交流が始まりました。生徒達はどうしたら隆介君を救えるのかという思いから、骨髄バンクの仕組みを調べたり、大人達にドナー登録を呼びかけたりしながら、特別活動の研究発表会に参加したりしました。NHKがこの取り組みを取材し、隆介君が学校を訪れてくれたり、生徒が病院に遊びに出かけたりする様子をニュースにしてくれたおかげで、今度は生徒達が全国から励ましの手紙やメッセージを受け取ることになりました。隆介君のドナーも見つかり、生徒達も受験を終え卒業、私も別の中学校に異動となりました。
 その後、せっかく見つかったドナーがキャンセルとなり、時間のなくなった隆介君は最適とは言えない適合のドナーから骨髄移植をうけましたが、結局亡くなりました。電話口で泣く生徒達一人一人を慰めながらも、涙がとまりませんでした。当時はまだドナー登録者数が圧倒的に少なく、ドナーの死亡事故もあり、キャンセルも仕方のないことですが、それに命の望みを託した小学生にとっては、きっと理解しがたいことだったろうと思うと胸が締め付けられます。隆介君の闘病は「隆介君、命輝いて」というNHK特集の番組になり、その後道徳の教材ビデオに編集されました。
 隆介君との交流の中心となっていた一人の女子は、この経験から看護師の道を選びました。小児科は外科ほど忙しくはないけれど、精神的に疲れると言っていた彼女も、今では立派な母親です。隆介君の家族とはその後もずっと交流を続けていましたが、先日届けられた葉書の中に、隆介君のお母さんが亡くなった知らせがありました。帰ったらもう一度ゆっくりと彼の思い出話をと思っていただけに、残念でなりません。子どもの命のために全力で闘った、すばらしいお母さんでした。今思えば、教員をしていなければ出会えなかった人の一人です。

1月30日 「最近のPJS」

 タイプーサムも終わり、今月もいよいよあと数日。大坂選手の全豪オープン優勝のニュースに喜んでいたら、たちまち彼女のまねをする芸人「小坂なおみ」の出現。個人的にはこういうノリは大好きですが、そのスピードにはついて行けません。つくづく歳をとったと思います。
 さて、今回は最近の学校のニュースから。
 やっと外壁工事が始まり、朝晩のバス対応やサッカーゴールの移動など、先生方はなるべく子ども達の負担やストレスを減らそうと頑張ってくれています。そんな工事初日のこと、国旗の掲揚塔脇の学校のシンボルツリーのブンガラヤ(ハイビスカス)が、掲揚塔の移動とともに引き抜かれたままになっていました。たまたま休日で工事の様子を見にきて気づいたのですが、かんかん照りで根の土もパラパラ状態。急いで水をかけて覆いをかぶせ、監督に今すぐ裏庭に移植を御願いしました。それから毎日バケツで何杯も水をかけながら様子をみたのですが、葉っぱがほとんど落ちてしまいました。アララこれはまずいと思いながら、何とか生き返ってくれと水やりを続けました。ガードのラビさんが見るに見かねて裏の庭の蛇口にホースをつないでくれ、大量の水を楽にかけられるようになったのですが、なんと先日、小さな花が2つ咲きました。葉っぱはまだよれよれですが、なんとか一命は取り留めたようです。学校の長い歴史の中で、シンボルツリーを枯らした校長なんて語られたらどうしようと思っていたので、本当に嬉しい。いやー本当に丈夫ですブンガラヤ。花の色だけでなく、すごい根性と生命力をお持ちです。
 続いて小学校低学年の水泳記録会。水泳指導は本校の特色の1つです。日本の学校では水泳指導を年間6,7時間行うのは至難の業ですが、本校では全学年毎週最低1時間は水泳指導が行われています。昭和30年の紫雲丸沈没事件をきっかけに、全国の公立学校にプールが作られるようになりました。この事故で亡くなった児童生徒100人のうちの女子生徒81人は、ほとんどが泳げなかったと言われています。当時の男子は川や海で遊ぶ機会も多かったのですが、女子は圧倒的に泳げる子どもは少なかったようです。確かに自分の記憶でも、川で遊んでいたのは男子ばかりで女子は全くいませんでした。なぜなのか、今考えるととても不思議です。
 で、本校の小学部低学年の子達ですが、いや本当に驚くほどよく泳ぎます。「はい、まず練習」の声に皆一列でスイスイ、スイスイ。もちろんなかなか進めない子もいますが、途中で水から上がる子なんて一人もいません。体が小さいので、迫力はあまりありませんが、とにかくスイスイ、スイスイまるでカエルみたいに泳ぐのです。さらには平泳ぎばかりでなく、クロール、背泳そしてバタフライまで。距離も50メートルをしっかり泳げる子もいて、本当にすごいと思います。一年のN君は堂々の学校新記録、二年のTさんは学校タイ記録を出してくれました。日本の公立学校の常識で考えてみれば、これって本当にすごいことではないでしょうか。泳げるということは、もしもの時に命をなくさずに
すむ可能性が高いという事ですから。コーチと先生方に本当に感謝です。
自分の小学校時代は、もちろんプールなどありませんでしたから、夏場に体育の時間をまとめて、弁当をもって一日近くの川で泳ぐのが授業でした。先生も楽なもんで、地元の自分たちは赤い旗の付いた竹を渡されて、「危ないところに刺してこい。お前らはおぼれる人がいないようよーく見張ってろ」と監視役を仰せつかり、先生達はどこから来たのか保護者の人たちと何やらビールのようなものを飲みながら、投網でとった鮎を焼いて食べていました。いい時代でした。
1月15日 「クーちゃん」

 新年を迎えて、あっという間に二週間が過ぎようとしています。毎日30℃越えの全く正月らしくない雰囲気の中で、新年の挨拶を交わしながら、やっぱり正月は寒い方が良いななどと思う自分はグローバル感覚から程遠い人間なのかも知れません。
 さて、本校の始業式では小・中の代表が新しい学期への抱負を語ってくれますが、今年の中学部の代表は二年生のOさんでした。彼女は以前戦闘機のパイロットになりたいという、俄然応援したくなる私好みの夢を語ってくれた子なのですが、あまり口数が多いわけでもなく、しゃしゃり出ることもなく、決して目立つタイプの子ではありません。そんな彼女の始業式での発表は本当に感動ものでした。今回、その原稿をお借りし、紹介する許可を頂いたのでご紹介したいと思います。但し名前は出さないで欲しいそうです。いかにもOさんらしいですね。そういう子なんです。

 私たち中二には、小学校一年生から飼ってきた「クーちゃん」というカメがいました。
中学部になってからは、世話をするのが大変だったので、中二の二学期からは私が飼うことになりました。最近ではクーちゃんはものすごいスピードで成長しています。私は昔からクーちゃんに競争心を抱いていました。なぜなら、クーちゃんの成長に自分は追いつけていないからです。私が家に連れて来たときと比べて約6センチメートルも大きくなり、今は約20センチメートルになりました。それに比べ、私は中一の頃と身長はほとんど変わっていません。他にもクーちゃんはいろいろと成長しています。例えば、名前を呼ぶと来るようになったことです。それまでは私が呼んでも、クーちゃんは全く見向きもせず、無視して私を通り過ぎていました。今は違います。私が呼ぶと顔を斜めにして、「何?」と言っているかのような顔つきでダッシュして来るようになりました。ダッシュしてきたときは正直びっくりしましたが、とても嬉しかったです。私にとってそれは記憶力が上がっているように感じられました。記憶力を勉強と置き換えると、私はクーちゃんに負けないくらい成長していると思います。小学生の頃、私は勉強嫌いでした。中学一年生の一学期の時も小学生の時と同じ調子で勉強していたため、そこまで好きではありませんでした。しかし、中学一年生の二学期の定期テストで、私の母が私の点数を見てヤバイと思ったらしく定期テスト3で勉強の手伝いをしてくれました。すると、以前よりも点数がよくて私はとてもうれしく思いました。その時から私は勉強をすることが楽しいなと感じられるようになりました。勉強という面ではクーちゃんに負けていませんが、最近、勉強をしたいと感じられなくてなかなか勉強がうまくいっていないため、三学期は不足している勉強力を補足して今まで以上に頑張りたいと思っています。
 体力という面でみると、私はそうとうクーちゃんに負けているなと思います。なぜなら中学生になって私は屋外で遊ぶことが少なくなり体力が不足してきているからです。それに対してクーちゃんは握力の増加が起こっています。最近の事でいうと、クーちゃんは私たちの家のソファーを破壊してしまいました。なので、私たちはソファーを元通りにしようと直しました。ソファーを破壊するくらいの握力を持ち始めてしまったため、クーちゃんには手をやいています。そのくらい体力の向上が起こっているのです。
 これまでのことで私は3つ中2つも負けています。そう考えると自分がどれほど成長できていないのかが、一目瞭然です。しかし、身長の面でクーちゃんに勝てるとは思えないので、残りの体力という面で勝ってみようと思いました。勝つためには毎日のように運動をしなければなりません。それはとてもきついと思うので、まずは自分が出来ることに挑戦してみようと思います。このようにクーちゃんがいてくれると私はとても助かります。
なぜなら、競争心を抱くため自分からいろいろな事に挑戦しようと成長させてくれるからです。三学期はクーちゃんに全敗しないように、目標を持ち、作戦を立ていろいろなことに挑戦して大きく成長したいなと思っています。
(原文のまま)

 いかがでしたでしょうか。一匹のカメを通じての真剣な自己分析。冗談でも何でもなく、本気で本当にそう思っているこの年齢ならではの精神の純粋さ。こんな想いを胸に抱きながら、毎日黙々と自分を高めようとするOさんに、心から敬意を表したいと思います。クーちゃんも、最高の飼い主に出会えましたね。