3月17日

  「てりまかし」 -さようならペナン-

[最後の五七五]
らいねんは つかわないぞ ビートばん(小1 YUMU君)
仲間達 光る体に はねる水     (小4 SEIICHIRO君)
三日月に かがみもちそえ おおみそか(小4 SHIORIさん)
嘘だろ! ゴーグルポロリ 無我夢中 (小6 RYOSUKE君)

「君に勧む金の盃、満酌辞すべからず、花開いて風雨多く、人生別離に満つ」 一年が経つのは、本当に早いものです。
 「PJSかがやきプラン」のもと、「頭を鍛え 心を鍛え 体を鍛える」、そして、「子供達一人ひとりを大切に」を合い言葉に、知・徳・体のバランスのとれた健全な児童生徒の育成を目指して進めてきた平成28年度の歩みも、とうとう最終の3月、「サヨナラ」を告げる時を迎えました。
 この一年、ペナン日本人学校は、子供達が明日への確かな進路を見つけ歩んで行くことが出来るように取り組みを重ねてきました。教科指導の充実は勿論、「五七五」「各種テスト」「縦割り集団作り」「カナカナ」等々、子供達にとってこの一年の学びが、自分探しの道への大きなステップとなり、「生きる力」に繋がったものと確信しております。
 保護者の皆様をはじめ、総領事館、日本人会、学校運営委員会には、大変お世話になりました。有り難うございました。今後とも本校の教育推進に対し、ご支援とご協力を賜りますよう切にお願い申し上げます。
 今年も別れの季節が訪れました。5人の派遣教員がペナンを去り、3人の現地採用職員が退職します。
 冒頭の詩は、中国の詩人「于武陵」の「酒を勧む」という詩です。
「君に勧む金の盃 満酌辞すべからず 花開いて風雨多く 人生別離に満つ」
これを井伏鱒二は次のように訳しています。
「コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 『サヨナラ』ダケガ人生ダ」
 歩んできた道をしみじみと振り返る時、まさに人生は、「サヨナラ」の積み重ねです。そして、ものごとが盛りの時に嵐は吹いてきます。学校にも慣れ、保護者をはじめペナン在住の方々とも顔見知りになり、本校の教職員として充実する時を迎える頃、今年も又「サヨナラ」がやってきました。
 過ぎ去った日々、実践でのいたらなかったところをお許し頂き、子供達の明日への成長に努力した一こま一こまを思い出して頂けることを願いながら、爽やかな「サヨナラ」を残し、各々、ペナンを出発いたします。
 皆様から頂いたご支援・ご厚情に対し深く感謝申し上げ、PLSの子供達の健やかな成長と健康・安全な生活を心より祈念して私もお別れいたします。どうぞお元気で。てりまかしー。

3月1日

  「線香を渡す」 -テリマカシ-

道徳を とくい教科に してみたい(小2 RINTARO君)
三学期 ぜったいまもる かがやきを(小2 HIYORIさん)
交りゅう会 えい語で言うよ できるかな(小2 KAZUYA君)

  「…百年前に、島の人を愛し、海を愛する火が燃えて以来、それを受け継いで今日まで燃え続け、今は、島の人々の心の中に、その火は大きく燃えている。
  けれど油断すると、この火は、いつ消えるかわからない。火というものは消えやすいものじゃからなあ。わしらは、この火を受け継いだ以上、次の世代にしっかりと、渡さなければならん。火のついた線香を次々と50人、 100人の人に渡していくようなものよ。」
  「火のついた線香を、次々に渡していくようなものって、どういう意味」
  「火のついた線香を渡された人は、火のついたままで、次の人に渡す責任があるんじゃ。消えかけたら、ふいふいと吹いて、火をかきたてるとか、燃え尽きそうになったら、新しい線香に、あらためて火を付けて渡すとかな。島を愛し、島の人々を愛した人が、この島を魚の宝庫として、わしらの手に渡したのだから、あらゆる手段をこうじて、次に来る者の手に、魚の宝庫としての姫島を渡さなければならぬ義務が、わしらには、あるということさ」  「お終いに、線香の話を持ち出すなんて、いかにも和尚さんらしいなあ」                             (椋鳩十『ふしぎな石と魚の島』より)
 これは、動物作家として有名な椋鳩十の日本一裕福な漁業の島「姫島(大分県国東半島沖に浮かぶ)」を舞台にした、『ふしぎな石と魚の島』の終わりに登場する和尚さんとその甥との会話です。
 ペナン日本人学校の今年一年の歩みのゴールを迎えようとしている今、会話の中の「百年前を43年前」に、「島をペナン日本人学校」に置き換えてみる時、 私達教職員は、涙ぐましい努力による学校創立、そして今日に至る迄のペナン総領事館、ペナン日本人会、学校運営委員会、保護者・教職員等、数多くの邦人の方々の温かいご支援と血のにじむような努力とにより受け継がれてきた開校の精神が、この線香の火以外の何ものでもないと、心を熱くします。そして、これからも、日本人会や保護者の皆様の期待、児童生徒の願いをしっかりと受け止め、教育課程と指導体制の更なる充実に向けて努力を継続しなければならないと、決意を新たにするものです。

  ペナン日本人学校、今年で43周年を迎えます。
 今年もまた、先人から受け継いだペナン日本人学校の熱い思いの火のついた線香を残る者に手渡して、5名の教員が帰国します(篠原里佳、中村正吾、 山崎慶太、増田栄次、浦江辰美)、そして、山川(事務)、イスマイル(運転手)、アティカ(ESL)もこの3月を最後に退職いたします。これまで皆様方から頂きました8名へのご支援・ご厚情に対しまして、深く感謝申し上げます。

2月20日

  「白いハンカチ」  -プラウピナン発刊-
[年末年始の五七五]
大みそか 心の中で 鐘が鳴る(小3 KAORU君)
初日の出 ペナンの元旦 あつい朝(小3 NIINAさん)
羽子板で はねを落として 顔にすみ(小3 AMIさん)
小学部三年生が年末年始の五七五を創りました。ペナンでのお正月の様子 が目に浮かぶようです。 

さて、今回は40年前のマラソンの話です。
1979年11月18日、日本初の女性による国際マラソンである「第一回東京国際女子マラソン」が、小雨の中でそのスタートを切りました。 並み居る若手選手を後目に、2人の子供を持つ42歳のママさんランナー、イギリスのジョイス・スミス選手が前半から飛び出し、そのまま2時間37分48秒の好記録でゴールテープを切り優勝したのですが、終始、テレビに映り続けたスミス選手の手には、何故か白いハンカチが握られていました。そのハンカチを、時々、口に当てて走るスミス選手に、その度にアナウンサーは疑問を発し続けました。
「汗を拭っているのでしょうか」
「もしかして、元気の出る薬が染みこんでいるのではないのでしょうか」「あの白いハンカチには、どんな秘密があるのでしょうか」等々。
優勝インタビューの時、「白いハンカチの秘密は?」と聞かれたスミス選手は次のように答えました。
「私はマラソンランナーとして、世界のいろんな道路を走らせて頂きます。しかし、長く走っていると口の中に唾がたまってきます。その唾を吐いて道を汚すのが申し訳なくて、いつもハンカチを手に走り、唾をぬぐい取るのです。このハンカチには何の秘密もありません。」 

平成28年度の学校文集「プラウピナン(第44号)」ができあがりました。子供達は、各人各様の白いハンカチを心に持ち、ペナンで生きて学んできました。ページ毎に、その生活の様子が目に浮かんできます。
開校42年、今年もまたペナン日本人学校の子供達は「かがやき」精神を磨き、明日へとつなぎます。

子供達がスミス選手のように、いつも心に白いハンカチを持ち、己の道を美しくする人生ランナーとなることを祈念して、「プラウピナン(第44号)」を発刊します。お手元への配布は、今しばらくお待ちください。

2月13日

  「熱 意」 -芭蕉にも負けず-

ペナン川 今年は2度も 暴れたよ(中1 KEN君)
頑張った でも埋まらない 解答欄(中1 AYAMIさん
ペスタでは ガラスの仮面 被ったよ(中1 YUSUKE君)
ペスタでは 声より大きい 心臓音(中1 KAZUYA君)
中学部2年生の昨年末の五七五です。

「 古池や 蛙飛び込む 水の音 」
 松尾芭蕉の句です。日本では、昔から沢山の俳句が作られてきましたが、その中でも一番有名なのが、この句だと言っても過言ではないと思います。
 ご存じのように、芭蕉は俳句で身を立てようと決心し、29歳の時、松尾宗房という武士の名前を捨てました。そして、俳句の道を極めていくことになります。彼の句作は、「自然に学ぶ」姿勢をとり、そこで芭蕉は、旅の人となります。旅行と聞くと少し羨ましくなりますが、当時の旅は大変です。徒歩です。野宿あり追いはぎありの命がけの旅行です。それに芭蕉は、身体が丈夫な方ではなかったようです。たびたび腹をこわしながらも辛い旅をやめることなく、旅先の自然の心を掴むことで、自分を磨き続け、そして大勢の人達の心に残る俳句を沢山作っていきます。
 芭蕉は、俳句を創るとそれでお終いにしないで、納得のいくまで何度でも書き直しました。例えば、冒頭の古池の句は、初めは「山吹や 蛙飛んだる 水の音」でした。それを「古池や 蛙飛んだる 水の音」に直し、さらに「古池や 蛙飛び込む 水の音」にしました。この間に、3年かかっています。
 代表作の「奥の細道」の中の有名な句に「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」があります。これは初めは「山寺や 石にしみつく 蝉の声」でした。それが「さびしさや 岩にしみ込む 蝉の声」になり、最後に「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」になりました。芭蕉は、満足がいく作品となるまで、自分の仕事に妥協しませんでした。この「奥の細道」も気に入るまで何度も何度も書き直し、作り上げるまでに4年の年月を費やしています。
 ペナン日本人学校もまた、芭蕉と同じように、学校運営の見直し・書き直しを繰り返しています。開校以来42年間、多くの関係者の努力により受け継いできた開校の精神を掲げ、より充実した教育計画を求めて毎年毎年書き直してきました。
 そして今年一年のゴールを迎えようとしている今、皆様から頂いた学校評価・ご要望・ご意見を真摯に検討し、これまで同様、魅力ある学校作りのための教育計画の更なる充実に向けた書き直しを継続していかねばならないと、決意を新たにしています。

2月1日

  「大黒屋光太夫」 -真の国際人とは-

「マレー人 優しさ触れる 交流会 (中2 RISAKOさん)」

 ペナンから遙か海を渡った遠い国、日本とロシアの18世紀の話です。 伊勢の国の船頭の大黒屋光太夫は、ある時、大嵐に遭い、漂流の末にロシアに漂着します。勿論、ロシア語は話せません。見たこともない顔型、聞いたこともない言葉の人々に助けられたのです。
  やがて生活にも慣れ、言葉も少しずつ分かるようになった時、高名な学者ラックスマンに気に入られ親友となり、彼の紹介で時のエカテリーナ女帝にも厚遇されます。そしてペテルブルグの貴族社会においても特別な尊敬と破格の処遇を受けるようになりました。全く縁もゆかりもない外国に一人で迷い込んだ光太夫が、何故このようになったのでしょうか。
  ある学者はこんな事を言っています。
 「…江戸時代から明治の開国期にかけて、多くの事柄を西欧から学ぶために沢山の日本人が海外に留学しています。彼らは外国語がうまかったわけでもなく、また、社交上手であったとも思われないのに、それぞれの留学先で、尊敬される日本人として、その地に名を残しているのです。
 当時の日本は、長い鎖国によって西欧諸国から立ち遅れてしまった自国の文化や科学、政治や経済等、早く一人前の近代国家として出発しようと、皆が懸命に頑張っている時期でした。海外への留学生もその気運に満ちあふれ、大変な努力をして勉強をしたのです。まず、その勤勉さが尊敬されました。加えて日本の家族制度に生き続けた厳格なまでの礼儀正しさ、良きマナーを身に付けていました。これは決して西欧に通じる国際マナーというのではなく、日本の風土、日本の民族が生んだ日本的なマナーだったはずです。にもかかわらず、外国において共感と尊厳を得たのです。それは、常に謙虚に学び、常に相手の立場に立ってものを考える礼節さは、国を超えて人としての道であるという良い教訓であったと考えます。…」

  先の大黒屋光太夫もきっと素晴らしい人格の持ち主だったに違いありません。あの勤勉で礼儀正しい留学生達と同じく、生半可な知識はなくても自ずから滲み出る品位や徳性を持った世界の何処へ行っても通用する国際人だったに違いありません。
  さて、2017年のペナン日本人学校。今年も国際交流を進めています。(1)まず自分の国の文化を理解すること 
(2)相手の国の立場や文化を尊厳を持って理解すること
 を念頭に実践していますが、それ以前の日常生活の場面において、日本人学校で日本の文化を学ぶ一人としての誇りと礼節を重んじる活動を進めていきたいと考えます。それは、何も難しい事をするのではなく、礼儀正しくすること、毎朝の挨拶一つでも、それがやがて国際感覚を豊かに育むための小さな、そして重要な芽となるという思いを胸に指導を深めていきたいと考えております。これからもご支援宜しくお願いいたします。

1月20日

  「アンパンマン」  -入学待ってます-

[小学部1年生の可愛い五七五]
テリマカシ マレーごこうざ ありがとう (小1 HOSHIA君)
マレーごで みんながいうよ テリマカシ (小1 YUMU君)
たのしいな マレーごこうざ すらまっぱぎ(小1 SORA君)
ホンさんと まわしたこまは ねむたそう (小1 HINAKOさん)

USMの学生がPJSに「マレー語講座」で教えに来てくれた時の感想の 五七五です。マレー語の混じった五七五は、なかなか可愛く面白く味わいが あるものに仕上がっています。

 昨年12月5日、ペナン日本人学校へ来年度小学1年生の可愛い児童21名が日本人学校入学体験で集まりました。そして、先週、1月13日には、4月からペナン日本人学校へ入学希望児童の保護者が集まり、本校の入学説明会を実施しました。
 今、校庭を垣間見ると、一年前に体験入学した一年生が、いつの間にか、一面の芝生の若々しい緑葉に負けないくらいにキラキラと輝きながら運動場を走り回っています。
 入学式の式辞で毎年、1年生達に贈る言葉があります。あらためて紹介します。
 「……ピカピカの一年生の皆さんにお願いがあります。それは、アンパンマンのような人になってくださいというお願いです。アンパンマンはとっても強いですね。しかし、強いだけでなく、とても優しく誰とでも仲良しです。弱い人を助け、いじめっ子をやっつけます。そして最後まで諦めずに頑張ります。
 でも、アンパンマンは体が弱ったら顔を交換するとまた力が出ますが、皆さんは顔を交換出来ますか?出来ませんね。それでは、アンパンマンのようにいつも元気で強く優しくいるためには、どうしたら良いでしょう?それはね、たくさんご飯を食べ、よく寝て、しっかり運動することです。友達と仲良く、正しいことを頑張り抜くアンパンマンのような人になってください。……」
 この小さくて可愛い一年生達が、六年後の卒業式の時には、見違えるほど大きく逞しくなります。
 体だけでなく心も頭も、豊かに賢く逞しく成長していきます。六年後、無事に中学校へ送り出す時の姿を想像し楽しみにしながら、私達は日々の教育活動に取り組んでいます。そして一年生だけでなく、ペナン日本人学校の子ども達全員が、アンパンマンのような子になるよう、全教職員で頑張っていきます。ご理解と支援を頂きますようお願いいたします。
  入学式は、4月15日(土)の予定です。

1月10日

  「意志あるところ必ず道あり」-本年も宜しくお願いいたします-[新年最初の五七五]
さとうきび 急激成長 はい!!僕も(中2 ROO君)

初春のお喜びを申し上げます  
今年もPJS児童生徒が言葉を磨き・心を磨き・お互いを磨き合う
切磋琢磨の一年となるよう祈念しスタートします

    平成29年1月              学校長 浦

 校長室の壁に掛かる色紙【意志あるところ必ず道あり】、そしてトロフィー。3年前に下村博文文部科学大臣から頂いたものです。或ることがきっかけでペナンの子供達を見たい、話を聞きたいとPJSに心を寄せられたのですが、来ること叶わず、替わりに「色紙」と「トロフィー」が贈られてきました。今日まで、ただ単に光栄に思っていましたが、先日、自叙伝を目にしました。
「……私が政治家を目指したのは、小学校3年生の時のこと。農協の職員をしていた父親が突然交通事故で亡くなってしまった。当時、母親は32歳、9歳の私と5歳と1歳の弟を女手一つで育ててくれた。夜が明ける前から田畑を耕し、昼はパートで働き、帰ってくると真っ暗になるまで再び農作業をする。
 極貧生活の中で、手の平を返すような世間の冷たさ、厳しさを味わう一方、私達に温かい手を差し伸べてくれる人達もいた。その時、私は将来こういう人達にご恩返しが出来る人間になりたいと思った。そして、小学生なりに真剣に考え、世の中を良くすることが出来るのは政治家ではないかと思い至った。 …中略… 早稲田大学から多くの政治家が輩出されているという情報を耳にし、早稲田大学合格を目指して、日夜勉強とアルバイトに明け暮れ、教育学部に進学した。奨学金で高校には通ったが、大学はそれだけでは足りない。私は入学後も一生懸命勉強とアルバイトに励み、母からは一切送金して貰うことなく、学費や生活費を工面した。……後略……」(致知より抜粋)
 国会議員、特に大臣になる方は、地方の有力者だとばかり思っていた私の考えを一変させてくれました。そして校長室の色紙「意志あるところ必ず道あり」の言葉も大きく重いメッセージを放っていることに気づきました。自叙伝は、まだまだ続くのですが、紙面の都合上、以下に要約してご紹介します。
 下村元大臣は、大学4年の時に学習塾をスタートさせます(学習塾は、都議会議員選挙に出馬する31歳までの10年間で、最終的には生徒数2千人、教室は12ヶ所にまで広がっていました)。そして、40歳で国会議員になり、56歳で文部科学大臣になる、そのために31歳で都議会議員に挑戦するという人生計画(夢マップ)を作ります。自らの強い意志が人生を切り拓いていく、という信念で歩み続けた下村元大臣。こんなに素晴らしい人からも応援されて、PJSに学ぶ子供達と教職員は、今年は一層「意志あるところ必ず道あり」、ペナン島から「志」を発信していきます。ご支援宜しくお願いいたします。